【小説】「UFOと親父⑪」

 親父の会社の同僚だという女性―彼女は「山内ひとみ」と名乗った―が、喫茶【あたたか】で語った内容に、僕は激しく狼狽した。
 彼女の言葉によって、これまで抱いてきた様々な疑問の答えが出た。僕は会計を済ませ、彼女に軽く会釈をすると、ふらふらとした足取りで喫茶【あたたか】を後にした。先ほどまで小ぶりだった雨が本格的に降り始めていたが、僕は傘をさす気にもなれず、濡れながら駅の方へ歩いていった。

「アルツハイマー…ですか・・・?」 

 僕は、手にしたコーヒーカップを震わせて聞き返した。山内ひとみは真剣な眼差しで僕の目を見ている。

「はい、そう思います。方丈さん、去年あたりからちょっとおかしかったんです。以前は滅多にミスをしない方だったんですが、この頃物忘れや間違いが多くなってきて…本人も悩んでいたみたいです。」
 
 【あたたか】のコーヒーは泥水のような味がした。相変わらず、この喫茶店のメニューはどれも不味い。とてもではないが480円の価値はないなと思った。

「実は、方丈さんには再就職先が用意されていたんです。方丈さんは皆からとても慕われていましたし、上層部もその実力を認めていましたから。新しく開設された一般消費者向け金融商品事業企画部の、スーパーバイザーとして退職後も力を貸して欲しいと上層部は打診していました。それを方丈さんは”自分はもう限界だから”って断ってしまって…私が思うに方丈さん、自分でも気付かれていたのではないかなと…。」

 なんという事だ。親父はまだ60歳である。痴呆を発症するには早すぎる年齢ではないか…だが、若年性アルツハイマーという可能性は十分にありえた。親父がアルツハイマーだとすると、一連の馬鹿げたUFO騒動にも説明がつくのだ。
 親父はウソが大嫌いだ。「宇宙人に攫われた」などという子供じみたウソをつくような男ではないのである。にも関わらず、親父は一貫してUFOに遭遇したと主張し続けている。親父はウソをついている訳ではないのだ。親父の頭の中には、確かにUFOと遭遇したという事実が存在しているのである。
 
 親父は自分がUFOに遭遇したのだと心から信じている。だから親父の主張には寸分のブレもなく、一貫していた。親父の言葉には、人を信じ込ませてしまう強烈な説得力がある。その説得力は、潔癖なまでにウソが嫌いで、誠実さを人間にとって一番大切なものだと信じて疑わない親父の人格から発せられているものだ。その人格と、親父を襲ったアルツハイマーという病―この2つの要因が重なった為に、多くの人が親父の主張を信じてしまった。このことが、今回のUFO騒動を巻き起こしてしまったのである。

 ウソをついていたのは親父ではなかった。たった今病に冒されつつある、親父の脳味噌だったのだ。

 自宅へ向かう電車の中で、吊り革に摑まりながらそんなことを考えた。
 この事は母にも伝えなければならない。もしかすると、もう気付いているかもしれない。親父の一番身近にいるのは母なのである。僕は、母に心当たりを確かめてみることにした。
 
 
 ふと、吊り広告に目をやった。
 相変わらず週刊誌は「UFOおじさん」の話題で持ちきりだった。

 
 続く

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【小説】「UFOと親父⑩」

 高円寺の街を抜けた僕は、地下鉄新高円寺駅の改札をくぐって、○×駅へと向かった。

 ○×駅の6番出口を出てすぐ、僕は約束の喫茶店【あたたか】を見つけた。
 赤いレンガに蔦の絡まった壁。路上に出ている電飾の看板はホコリを被っていて、切れかけた蛍光灯がチカチカしていた。白い木枠の窓の内側にはには黄ばんだレースのカーテンがかかっていて、その奥に中途半端なアンティーク家具が所狭しと置かれている。窓辺にひっそりと佇んでいるビスクドールは虚ろな目をしていて、街を行き交う人々をぼんやりと眺めているようだ。

 僕は以前、この喫茶店に来たことがある。

 その事を唐突に思い出した。あの時僕はまだ小学生で、あのビスクドールが怖くて仕方がなかったんだった。
 確か、同じような雨の日曜日だった筈だ。その日親父は「どうしても処理しなくてはいけない案件が残っている」と行って銀行に出掛けたのだが、家に書類を置き忘れてしまったのだ。僕は母に頼まれて、渋々銀行へ書類を届けに行った。
 親父は珍しくすごく喜んで「これはお礼だ」とこの喫茶店に僕を連れていった。「なんでも好きなものを頼んでいい」と親父が言うから、僕はチョコレートパフェとクリームソーダを頼んだ。しばらくして店主が運んできたのは酷く貧相なチョコレートパフェで、安物のアイスクリームと粉っぽいウエハースの味しかしなかった。クリームソーダもなにやらクスリっぽい味がした。
 決して旨くはなかったが、滅多に甘いものを食べない親父と一緒にパフェを食べられたのが子供心に嬉しくて、味の記憶が舌に焼きついている。だから、今でもあの味は克明に思い出せる。

 この店はあの頃と何も変わっていない。あれから20年以上の年月が流れているというのに、この喫茶店だけは時間が止まったように何も変わらず建っていた。
 郷愁に溺れそうになりながら、僕は喫茶店の中に入っていった。
 客はひとりしかいなかった。背の低い、20代くらいに見える女性が一番奥のテーブルに座っていて、僕を見ると嬉しそうな顔で手招きした。
 僕は女性が座っているテーブルに座った。

「方丈ユタカさんですね?」
 女性が話しかけてきた。美人と言えば美人だろう。そこそこモテるんじゃなかろうか。
「はい、そうです。」
「すぐわかりましたよw お父さんそっくりなんですね。」
「そうですかね・・・?」
「ええw目元なんかホントに瓜二つw」

 それを聞いて僕は少しだけ不愉快な気持ちになった。周囲の人間によく「親父にそっくりだ」と言われるのだが、自分ではそうは思わない。親父はバーコード禿げで分厚い眼鏡を掛けており、見るからにサラリーマンといった風体である。僕は母親に似て髪の毛はふさふさだし、それなりにファッションにも気を使っているつもりだ。「目元がそっくり」とよく言われるが、それも自分では実感が沸かない。とにかく「親父に似ている」と言われるのは心外である。


続く

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【小説】「UFOと親父⑨」

 この街を歩いていると、あの頃のことが脳裏に蘇ってきた。

 極めて自堕落な生活だった。思い出してみて、少しぞっとした。僕とタマエとタマエの友人と、バンドのメンバーは、毎日夜通し酒盛りをして、そのまま寝てしまって午後3時過ぎに起きて、起きるとまた冷蔵庫からビールを取り出して飲んでいた。要するに毎日酒ばかり呑んで生活していた。曜日感覚は完全に失われていた。まさに毎日が日曜日だった。
 あの2年間、僕は殆ど働いた記憶がない。タマエの家にはいつも人が5、6人居座っていて、皆で共同生活しているような感じだった。家の中に千円札や500円玉が沢山入った紙袋があって、居候は皆、金が必要になった時はそこから持ち出して生活していた。金がなくなる頃には誰かが土方やらティッシュ配りやらの日雇いバイトをして、紙袋の中に金を入れていった。そんな感じであの奇妙な生活空間は成り立っていた。

 僕は名目上「タマエの恋人」ということになっていたけれど、デートだとか、キスだとか、恋人らしい事を殆どしたことがなかったような気がする。肉体関係もあったのかなかったのか思い出せない。家の中にはいつも他の居候がいて、その気になるような雰囲気ではなかった。

 タマエの家でヒモ生活をしながら僕は、毎日毎日音楽のことばかり考えていた。

「どうしたら音楽で世界を変えられるか?」

 という自問自答を続け、自分をひたすら追い込んだ。僕は部屋の片隅で毎日指先が麻痺するまでギターを弾いていた。いつも焦っていた。「好きなことだけに集中する生活」という、とても贅沢なモラトリアムをタマエから貰っているという負い目があって、それが僕にはプレッシャーだった。僕は毎日のように「どうして皆俺の音楽を理解しないんだ」「この国の人間は糞だ」「皆死ねばいいんだ」とかいう愚痴ばかりをこぼしていたけれど、タマエはそれをいつも微笑みを浮かべて「うん、うん、そうだね。」と相槌を打ちながら聞いていてくれた。タマエは僕の全てを受け入れてくれた。タマエはいつも聖母のように優しかった。

 けれどもタマエは、僕の音楽を褒めてくれたことだけは一度もない。

 多分タマエは僕が挫折することを知っていたんだと思う。いつか僕が逃げ出すことを、彼女はわかっていたのだ。あの家にいた連中の話によれば、若い頃のタマエは有名なバンギャルで、色んなバンドの追っかけをやっていたらしい。そのバンドの中にはバカ売れした奴等もいたし、全く売れなかった奴等もいた。覚醒剤で捕まったり、淫行で訴えられた奴もいたそうだ。タマエは産まれては消えて行く無数のバンドマンたちの生き字引のような存在だったのだ。タマエは音楽についてその辺のバンドマンよりも深く理解していた。だからきっと、僕に音楽の才能がないことを、タマエは誰よりもわかっていたのだ。

 高円寺の街を歩きながらそんな事を考えていた。ぽつぽつと居酒屋のネオンに明かりが灯り始めるころ、霧雨が振り出した。僕は雨に降られながら駅の方へと歩いていった。郷愁と罪悪感が織り交じった妙な感情が胸に沸き起こって、僕はなんだか泣きそうになった。年をとると涙もろくなっていけない。近頃「隣のトトロ」を金曜ロードショーで見るだけでも涙腺が緩んでしまうのだ。


続く

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【小説】「UFOと親父⑧」

 目的地の○×駅までは、荻窪で地下鉄に乗り換えることになる。日野駅から荻窪までの区間、中央線各駅東京行き各駅停車の車両に揺られながら、僕はこれまでの事件に思いを巡らせていた。

 一体何だというのだろう。盆暮れ正月、ついでにゴールデンウィークとハロウィンが一緒にやってきたような、このあり得ない状況は何なんだ?どこをどう間違ったらこのような珍事件に発展していくのか?まるで滅茶苦茶である。いまどきマンガでも、こんな展開はありえない。
 
 僕の親父は真面目だけが取り得の、四角四面の銀行員だった。親父は高度成長期を生きた典型的な会社人間―それだけがアイデンティティの人間だったはずだ。「UFO」とか「TVCM出演」とか「CDデビュー」とか、まったくもって親父に似つかわしくない。そんな珍事件が次々と親父の身に降りかかっている。
 一体どうしてしまったんだ?当たり前に過ぎていくだけだった、あの平凡な日常はどこへ行ってしまったのだ?僕が32年の生活の中で築き上げた世界や人生に対するパラダイムは、ここ数ヶ月の間にガラガラと音を立てて崩れ去った。まったく予想のつかない事件が毎日、いや毎時間というスパンで起こり、僕の思考スピードを遥かに上回るスピードで事態が進行していく。今や僕は、趣味の悪い夢の中に閉じ込められているような気がしている。目の前に存在している世界に、全く現実感を感じることができない――

 などと物思いに耽っていたら、荻窪駅を通り過ぎてしまった。「しまった」と思ったが、約束の時間までは十分に余裕がある。僕は高円寺駅で電車を降り、新高円寺駅まで歩くことにした。思えば、タマエの家から逃げ出したあの日以来、この街に近付くことさえなくなっていた。少々センチメンタルな感傷に浸りながら、僕は高円寺の決して綺麗じゃない街並みの中を歩いた。

 高円寺というのは東京の中でも特殊な場所である。この街には新宿や渋谷、六本木などに見られる「東京らしさ」が全く無い。一般的な東京のイメージとはかけ離れた街なのである。このような空間が、23区内の、中央線のど真ん中に存在していることは宇宙の神秘としかいいようがない。
 高円寺は貧乏人の街である。この街は貧乏人の文化によって支配されている。この街の住民に呑まれている酒はビールと焼酎と日本酒だけだ。ビンテージワインやロングカクテルといった、洗練されたアルコールはその存在が許されていない。女性に好まれるような、こ洒落たバーなどは皆無である。
 高円寺に存在するのは居酒屋である。居酒屋、居酒屋、居酒屋・・・どこまでいっても居酒屋である。地平線の先まで居酒屋が続いているかのような錯覚を覚えるくらい、この街には居酒屋が乱立している。言うなれば、高円寺という街自体が巨大な居酒屋なのかもしれない。その証拠に、この街の住人は全員が酔っ払いだ。

 数年前、僕もその「酔っ払い」の一人だった。狂気と陶酔と乱痴き騒ぎの毎日の中、ふいに襲われる将来への不安と孤独を味わいながら、僕は音楽活動を続けていた。

 続く

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申し訳ないっす。。。

只今マンガの仕事の方が多忙につき、小説の更新が滞っております。。
もうすぐ修羅場を抜けると思われるので、しばしお待ちをお願いします・・・!!

見捨てないでくれえええええぇぇぇwww

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【小説】「UFOと親父⑦」

 万が一、あの親父がウソをついているのだとしても、もっと相応しいウソがあるだろう。「UFO」などという、胡散臭くて東スポちっくなものは、親父にまったく似合わない。僕の知る限り、親父はそのようないかがしいものに興味を示す男ではなかった。TVをつければNHKしか観ない。音楽はクラシックしか聴かない。およそ「娯楽」というものに縁がない、糞真面目で四角四面の会社人間―それが僕の親父なのである。
  あの頑固一徹な親父が「UFOに攫われた」と一貫して主張しているのだ。もしかしたら、本当に宇宙人と遭遇したのかもしれない。あり得ない話だが、考えれば考えるほど、そう思えてきた。


 そんなある日の日曜日、僕の携帯に見知らぬ番号の着信履歴が残されていた。留守番電話センターにメッセージが保管されていたため、僕はそれを再生した。

 「方丈ユタカさんですね。貴方のお父さんについて話したいことがあります。本日18:30に、○×駅前にある【あたたか】という喫茶店でお待ちしております―」

 メッセージの声が女のものだった。

 僕は「まさか」と思った。同時に「ありえない話ではない」とも考えた。今や親父は日本、いや世界でも有数の有名人となってしまった。ちょっと買物にと街をぶらついただけで大騒ぎとなり、女子中学生までもが我先にと親父にサインをねだるような世の中である。
 あの親父に限ってはそういうことはないと思っていたものの、やはり親父も男である。この機に乗じて不倫の華の一輪でも咲かせてやろうという下心が起こる可能性は十分にありえる。

 ともかく、我が家が修羅場と化すことを避けるためにも、僕はこの声の主に会ってみることにした。僕は妻にメッセージを聞かせて状況を説明し、何年も着ていなかったよそ行きのシャツとジーンズを着ると、家を出た。

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【小説】「UFOと親父⑥」

 話が脇道へ逸れてしまった。
 親父の話に戻そう。ともかく親父は、当初から僕の音楽活動に反対していた。

「グループサウンズなんてモンはヤクザ者のすることだ。まっとうな人間のするもんじゃない。」

 僕の必死の説得も空しく、親父は話を聞こうともしなかった。その親父が、こともあろうにCDデビューするとはどういう了見だろうか。しかも日本のシングルCDセールス記録を塗り替えるという快挙まで成し遂げて、だ。話が違うではないか。「音楽なんてヤクザのすること」じゃなかったのか?

 などという僕のやっかみも空しく、親父は次々と僕が欲しくても手に入れることができなかったものを手に入れていった。親父はMステに出演し、うたばんに出演し、トップランナーにも出演した。年末には紅白にも出演が決定しているらしい。親父の人気は留まることを知らず、あらゆるメディアから親父へのオファーが殺到した。先日など密かに憧れていたW・ライダーと対談していた。近頃ではUFOブームは全世界に広まっており、親父の人気もワールドワイドな規模になっていたのである。親父は、来年公開予定のスピルバーグ監督作品「UFO」にもチョイ役で出演しているらしい。

 それにしても、親父は本当に宇宙人と遭遇したのだろうか?到底信じられる話ではないが、ウソをついているとは思えなかった。
 親父は「ウソが大嫌い」なのである。僕は親父がウソをついたり、約束を破ったりしたところを一度も見たことがない。ウソに関して親父は家族にも非常に厳しかった。僕が仮病を使って中学校をズル休みした時など、真冬だというのに罰として上半身裸で2時間玄関前に立たされたものである。お陰で僕は本当に風邪を引いてしまい、40度の熱を出して1週間も学校を休む羽目になってしまったのだ。それでも親父は

「これで仮病ではなくなったな。」

 となにやら満足そうにしていた。親父はそういう男である。

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【小説】「UFOと親父⑤」

 今から8年前の話である。

 家を飛び出した僕は、大学に行かなくなった。それから2年間「タマエ」という名の女のマンションでヒモとして生活しつつ、バンドを組んでライブを演ったりレコード会社にデモテープを送ったりした。その生活の中で、僕は自分に音楽の才能が皆無であったことを思い知らされた。
 バンドはギターボーカルが僕、ベースは大学の軽音サークルの同期、ドラムはタマエの知人という構成だった。当時僕は軟弱なJ-POPに嫌気がさしていて、日本の音楽シーンに風穴を開けるようなバンドで颯爽とデビューし、音楽で世界を変えてやると息巻いていた。
 
 バンド名は「深遠」という名前だった。「深遠」の曲はいわゆるプログレッシブ・ロックという奴で、端的に言うと和製ピンク・フロイドみたいな事をやっていた。Aメロ・Bメロ・サビの5分構成で終わる日本の歌謡ロックはクソだと思っていたから、奇妙奇天烈なキワモノの曲ばかりを作り、演奏した。
 
 客受けは非常に悪かった。毎月タマエの知人が経営する箱でライブをしていたが、最大動員数が6人という惨憺たる有様だった。その客の内訳も、大学の軽音サークルの友達と、タマエと、タマエの友人といった感じで、要するに内輪の域をまったく出なかった。「深遠」のメンバーはライブが終わるたびに近所のファミレスで反省会を行った。「練習量が足りない」とか「ベースの音がでかすぎる」とか「ライブパフォーマンスが雑」とか色々な反省点が見つかり、何かと工夫して改善を試みたが動員数は一向に増えなかった。
 
 最大の問題点は、多分ボーカルの僕がとてつもなく音痴だったということだ。それは僕も含めてメンバー全員が薄々感じていたことだったが、とうとう最後まで誰も口にできなった。「プログレッシブ・ロックに歌唱力は要らない。プログレッシブ・ロックに必要なのは芸術性と表現力だ」というのが当時の僕の持論だった。
 今考えてみるとそれは、自分が音痴でありながらプロのミュージシャンを目指していることを正当化するためのスケープゴートに過ぎなかった。あの頃の僕はあまりに青すぎた。

  「音楽で世界を変えるんだ」

 あの頃毎日のように、この言葉を口にしていた。タマエと飯を食べている時、大学の友人と呑んでいる時、風呂の中で、寝る前に、僕はこの言葉を呪文のように唱えていた。
 本当は、とても怖かったのだ。人生がとても恐ろしかった。「こんなことをやっていたらいつかホームレスになってしまうんじゃないか」って、心の中ではいつも思っていた。その恐怖を打ち消すために、僕は「音楽で世界を変える」という呪文を唱え続けた。でも、心の底ではわかってたんだ。そんなことは僕には無理だってことを、頭のどこかでは理解していた。理解していながらそれを認めたくなくて、あの頃の僕はいつももがいていた。

 「深遠」は結成して2年で解散した。ベースが「深遠を抜ける」と言い出したからだ。就職が決まってこれ以上活動を続けられそうにないとベースは言った。僕は彼を裏切り者扱いして罵倒し、ぶん殴ってあわや訴訟沙汰という所までいった。僕はベースの代わりを探して「深遠」の活動をなんとか続行しようとした。だけどそうこうしているうちにドラムまでいなくなってしまった。タマエの話によれば、ドラムはパチスロ中毒で、消費者金融に数百万円の借金を抱えていて、ヤクザに追われていたらしい。
 ドラムはその後行方不明のまま、帰ってこなかった。

 「深遠」解散後、全てに絶望した僕はタマエのマンションから逃げ出した。僕は自分の中から「深遠」結成後の2年間を消し去ることにした。ベースとドラムとタマエとタマエの友人の携帯アドレスを消去し、日野の実家に戻った。
 母は「あら、おかえり」と言った。親父は「やっと帰ってきたか、早く就職しろ」と言った。2年間も音信不通だったというのに淡々としたものだった。考えてみれば、タマエのマンションが高円寺にあって僕の実家は日野にある。電車で1時間もかからない距離に僕はいたわけで、親父も母も探そうと思えばいつでも探せた。あとから聞いたら、妹が高円寺にちょくちょく様子を見に来ていたらしい。

 実家に帰った僕は、大学に復学した。大学に僕の籍はかろうじて残っていて、ゼミの教授に文句を言われながら卒業論文を書き上げて、卒業した。そして小さなIT企業に就職した。それから8年があっという間に過ぎた。3年前に僕は妻と結婚して、今では完全な仕事人間、骨の髄までサラリーマンである。

 けれども今でも寝る前にふと、音楽活動をしていた2年間の事を思い出すことがある。あのまま音楽活動を続けていたら、32歳の僕は今、何をしているのだろう?相変わらずタマエのマンションでヒモをしているのだろうか。タマエは優しい女だった。タマエは僕が何をしていても笑いながら見ているだけだった。


 あれからタマエには一度も逢っていない。

続く

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【小説】「UFOと親父④」

 スポーツ新聞、写真週刊誌、バラエティ番組、インターネットのニュースサイト、ブログ…あらゆるメディアに親父の名前が挙がった。近頃親父の顔を見ない日は無いと言って良い。ついには「ムー」が親父の特集を組み、韮澤 潤一郎との1万字に及ぶ対談が掲載された。
 それでも初めのうちは、親父の存在は一部のマニアとヒマな主婦だけが喜んでいるような、狭い世界で知られていたに過ぎなかった。少なくともまともな思考回路を持っている大人は、親父のUFO騒動に冷笑的だった。ところが内閣官房長官が記者会見で親父の名前を出したことがきっかけで一大論争が巻き起こり、TVタックルで内閣官房長官と民主党の議員と韮澤 潤一郎と大槻教授が激論を交わす羽目になった。この番組には親父も出席していた。親父は放映中殆ど口を聞かず、黙ったままだった。親父は番組の最後に阿川 佐和子に意見を求められて、はじめて重い口を開いた。
 その一言が

「私はウソは大嫌いだ。」

 だった。
 この一言には何千、何万語を並び立てた、それまでの論客達の弁論よりも説得力があったようだ。親父は今までUFO騒動に冷笑的だった中年層の心を鷲づかみしたのである。この回のTVタックルの瞬間最高視聴率は68%を超え、21世紀最高の視聴率記録を打ち立てた。
 この番組以後、本格的な「UFOブーム」が日本全体に到来することになった。親父は「UFOおじさん」の名前で世間に広く知られるようになり、老若男女、全ての大衆の人気をかっさらった。親父がカップ焼きそば「UFO」のCMに出演すると、カップ焼きそばUFOの売上は前年の18倍となった。「UFOおじさん」を主人公にしたアニメが放映され、「UFOおじさん」の携帯ストラップが東京駅のキヨスクで販売されると日本中から旅行客が殺到した。ある筋の調査によると、今や「UFOおじさん」の経済効果は2600億円を超えているらしい。
 僕の実家はUFOマニアの聖地となり、毎日のように参拝客が訪れるようになった。この結果実家の周りにはテキ屋の露店が立ち並ぶようになり、その結果不良やゴロツキがやってきて、実家の近所ででさまざまなトラブルが起こったが、親父の人気は留まることを知らず、その全てが暗黙のうちに許された。

 ある時僕は、勤務先の会社の部長に親父のサインをねだられた。

「大口の顧客が君のお父さんの大ファンなんだ。お父さんのサインを持ってきてくれ。これは社長命令だぞ。」

 と言われ、しょうがないので渋々親父に頼んだ。親父はこういったミーハーなことが大嫌いな人間だったが、事情を話すと

「仕事で必要ならいくらでも書いてやる。」

 と以外にもあっさりと承諾してくれ、色紙にサインと一緒に【宇宙と一体になる。】というよくわからないメッセージまでつけてくれた。それを会社に持っていくと部長は大喜びした。数日後に大口の契約が決まり、僕は会社にその功績を認められて月給2ヶ月分の賞与を貰った。

 最早何がなんだかわからなかった。毎日夢の中にいるようで、現実感の薄い日々が過ぎていった。
 
 その年の9月、親父はCDデビューを果たした。「UFOおじさん」名義でリリースしたシングル【私を宇宙(そら)へ連れてって】は768万枚という史上空前の大ヒットを飛ばし、それまで【およげたいやき君】が持っていた記録を塗り替えた。今では女子高生までが【私を宇宙へ連れてって】を着うたにしているらしい。

 これまで何が起こっても無関心を装ってきた僕だったが、この事だけは看過できなかった。僕は親父と音楽活動のことを巡って大喧嘩したことがあるのだ。
 大学卒業を間近に迎えたある日、僕は母と親父に

「ミュージシャンになりたいから、当分フリーターをやろうと思ってる。」

 と告げた。この言葉を聞いた親父は激怒し、僕は勘当同然の状態で家を飛び出したのだ。


続く

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【小説】「UFOと親父③」

 この葬儀にマスコミは群がり、面白がって興味本位の報道を繰り返した。

「会社人間が退職を期に自殺!! 生き甲斐を失った男の哀れな末路!!!」

 などと無責任なテロップが昼のワイドショーでひっきりなしに流れるようになり、ただでさえ精神的に参っていた母は、ついに寝込んでしまった。
 まったくマスコミという奴等は人間の屑である。ハイエナの如くネタに群がり、視聴率を稼ぐためならば人の尊厳を踏みにじることなど屁とも思っていない。ブラウン管の中、レポーターやコメンテーターが行方不明となっている親父に同情するそぶりで「生きていて欲しい」だの「奥さんが可哀想だ」だのと、「常識的な意見」と言うやつをペラペラと述べている。だが、奴等の魂胆は明らかだ。TVに噛り付いているヒマな視聴者共を喜ばせ、少しでも視聴率を稼ぎたいだけなのだ。親父や僕たち家族に対する哀れみの気持ちなど、本当はこれっぽちも持ち合わせていない。それが証拠に、そっとしておいてくれればいいものを「取材」と称して毎日のように家に押しかけくる。
 近所の住民も悩みの種だった。母によれば、近所のヒマを持て余している主婦達が「大丈夫?」とか「何か力になれることがあれば言ってください」とか言って、何かと理由をつけては家にあがろうとするらしい。まったくもって大きなお世話、「やさしさ」の押し売りである。どうやらTVカメラが自分達が住んでいる街に来ていることが面白くて仕方ないらしい。
 ある日曜の昼間、何気なくテレビをつけたら、とある中年の女がTVレポーターに意見を求められて「あんなにいい人がこんな目に遭うなんて…」と涙を流している姿を観た。僕はその女の顔を覚えていた。いつも内のゴミの分別がいい加減だと言って文句ばかりつけてくる町内会の顔役だ。親父は彼女と仲が悪かった。親父が唯一していた家事がゴミ出しだったのだが、ある時親父は収集日を間違えてプラスチック包装ゴミ収集の日に可燃ゴミを出してしまったのだ。これが原因で親父と彼女は激しい口論となり、それ以来口も聞いていないはずだった。
 これだから人間は信用できない。

 僕は母が心配になり、当分の間妻と共に実家で過ごすことにした。
 そのうち世間もこの話題に飽きることだろう。1週間もすれば新たな猟奇殺人事件でも起きて、暇な奴等の興味はそっちに移るはずだ。それまでの辛抱である。
 今はだまって台風が通り過ぎるのを待つしかない。

 
 ところが、僕の予想に反して、事態は思わぬ方向に進み、マスコミの報道は加熱の一途を辿ることになった。
 何故かといえば、親父が生きていたからである。
 葬式から1ヶ月が経ったある日、親父はひょっこりと家に帰ってきた。僕も母も妹も「今までどこで何してたんだ!?」と親父を詰問した。新聞記者やTVレポーターたちも、争ってこの疑問を親父にぶつけた。
 
 そして、ついに記者会見が開かれることになった。
 その記者会見の場で、親父はこう言ったのである。


「4ヶ月前、私はバードウォッチングに出掛けました。そこでUFOに攫われたのです。今日まで私は、宇宙人ととも生活していました。どうも心配をおかけしました。世間をお騒がせしたことを、心よりお詫び申し上げます」

 この衝撃の発言の後、親父は「時の人」となった。




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«【小説】「UFOと親父②」