勉強について
最近とある必要性から勉強をしているのだが、改めて僕は勉強が好きだ、大好きなのだという事を再認識させられた。僕はTVを見ているより勉強している方がよっぽど気がまぎれる。ニコニコ動画やTVを見て時間を潰すと、人生を無駄にした気になって損した気分になる。貴重な時間を何も産み出さないことに投資するのはハイリスク・ノーリターンの行為だ。できる限り避けたい。
何故、大学時代はあんなに勉強が苦痛だったんだろう。僕は殆ど中毒的に学問が好きだが、大学の授業はひどく苦痛だった。多分、勉強する目的が全くわからなかったからだ。ブランド指向で大学を選択したことが原因かもしれない。自分が何をしたいのかなんて18、19の頃には全くわからなかった。とにかく大学は行くものだという先入観があったから、何の目的もないまま大学に入ったのだ。高い学費を払ってもらって両親には本当に申し訳ないが「大学には行くものだ」という先入観を僕に植え付けたのは両親だろうから、恨みっこなしということにしてもらいたい。とにかくあの頃の僕は、何の目的もない人間だった。
目的のない努力ほど空しいものはない。明確な目的が定義されていない努力は、その殆どが徒労に終わる。日本ではこのことがあまりアナウンスされていないような気がする。
インド人の学生は非常に勤勉だという話をよく聞くが、それは当然だろう。彼らは明確な目的の元に努力を組織化しているからだ。明確な目的意識がある時、人間は努力を努力だとは感じない。目的に向かって努力する行為は快楽だからだ。人間が感じられる快楽のうちで、目的に向かって前進している感覚というのは最も大きなもののひとつだろう。これと同等の快楽はセックス位しかない。それはTV鑑賞やニコ動ウォッチングでは絶対に産み出せない快楽である。
現在日本では、ゆとり教育によって学力レベルが低下したから、もう一度学校教育を厳しくしようという議論がなされている。実際に、カリキュラムを増やす方向で法律を是正するそうである。僕はこんな議論は本当に無意味だと思う。明確な目的もなく、必要性もない知識を頭に詰め込むのは時間の無駄だ。学校など、行きたい人間だけが行けばいいのである。義務教育などというものはナンセンスだ。日本人の平均学力を高めたところで何ら国益に繋がらないと思う。
それよりも、人生の早い段階で生きていく目的を定義する手伝いをしたほうが、子供にとって余程為になるのではないだろうか。人生の目的を早い段階で定義できた人間は、ほぼ間違いなく高い生産性を持つ人間に成長する。オリンピック選手や天才科学者が一般人と違う点はここにある。彼らは人生の早い段階で自分の生きる目的を明確にし、努力を組織化しているのだ。人生において成功を収める方法はこれしかない。目的を明確にし、目的を達成するためには何をすべきかということを特定し、努力を組織化し、実行に移すのだ。これさえ行っていればいかなる人間も成功を収めることができると僕は確信している。
しかし、成功することと幸福になることは違う。社会的に大きな成功を収めた人間が幸福であるとは限らない。もしかしたら学校というのは、成功するためではなくて幸福になるために存在しているのかもしれない。
むうう…主張がバラバラで一貫性がないな。悪い作文の見本みたいな文章になっちった。。。。。
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