「乱」について。
天下に「大乱」を望むものの声が、日増しに大きくなってきているような気がする。
我が国においては既に大戦から50年以上が経過し、太平の世がずっと続いている。
「平和」というものは、必ずと言ってほいほど「貧富の差」という影を産み出す。長い間内乱や戦争が起こらないと、自然と富が一部の人間に集中し、搾取構造が産まれてくるのである。 平安時代が応仁の乱によって幕を閉じたのも、江戸幕府が維新によって終焉を迎えたのも、平和によって産まれた貧富の差、身分の壁を破壊したいという人々の願いが「乱」を産んだ結果だったのではないだろうか。
現在の日本は、平安時代の末期に酷似してきているような気がする。一部の人間が富を独占し、閉鎖的な環境の中で洗練された文化を生み出している。銀座の百貨店などにならぶきらびやかで退廃的な装飾は、まさに貴族文化そのもである。いま「セレブリティ」と呼ばれている階層の人々は、言わば平安の時代における貴族にあたるのではないだろうか。
一方で、貧困やワーキングプアーの問題は年々深刻化し、「持たざる者」の憎悪は沸点へと近付いている。結果、ニュースでは毎日のように捨て鉢な犯罪事件が報道されている。近頃の犯罪者の行動からは、はっきりと「社会への憎悪」が感じられる。昨今の悪質な殺人事件や強盗事件は、
「この社会構造の中では、自分は絶対に立身出世できない」
と世を果無んだもの達が、日本社会への憎悪を「犯罪」というかたちで表現しているように思えてならない。
これが「乱」でなくて何であろう。
だが、そのような「乱」は何も産まない。憎悪という破壊的なエネルギーは、一個人の中に蓄積されているだけでは一切の生産性を持たないものである。憎悪が世の中を変える力となりうるのは、何千、何万という憎悪が集結されるときしかない。
それゆえ人は、己の内に憎悪を秘めるべきものではない。憎悪とは他者と共有されて始めて世を変えていく力となりうるものだ。
「最早憎悪に身をゆだねるしかない」とまで思いつめているものは、その点を心得ておくべきである。
卑賤な犯罪行為で「乱」を求める本能を昇華してしまうのは、あまりにくだらぬ人生ではないだろうか。
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コメント
平安時代が完全に終了した年代は壇ノ浦の戦い(1185)頃。
応仁の乱は1467。
乱の原因は室町幕府管領の細川勝元と、山名持豊(出家して山名宗全)らの有力守護大名が勢力争いをはじめたこと
投稿 もこたん | 2008年4月25日 (金) 04時52分
ん。。。
あー!鎌倉時代と平安時代が記憶の中でごっちゃに
なってた…
小学生でもしないミスをしてしまいましたwwww
ご指摘ありがとうございます。
いかに自分が無知であるかの証拠として、消さずに残しておきますww
投稿 まおうげん | 2008年4月26日 (土) 00時06分