【小説】「UFOと親父⑤」
今から8年前の話である。
家を飛び出した僕は、大学に行かなくなった。それから2年間「タマエ」という名の女のマンションでヒモとして生活しつつ、バンドを組んでライブを演ったりレコード会社にデモテープを送ったりした。その生活の中で、僕は自分に音楽の才能が皆無であったことを思い知らされた。
バンドはギターボーカルが僕、ベースは大学の軽音サークルの同期、ドラムはタマエの知人という構成だった。当時僕は軟弱なJ-POPに嫌気がさしていて、日本の音楽シーンに風穴を開けるようなバンドで颯爽とデビューし、音楽で世界を変えてやると息巻いていた。
バンド名は「深遠」という名前だった。「深遠」の曲はいわゆるプログレッシブ・ロックという奴で、端的に言うと和製ピンク・フロイドみたいな事をやっていた。Aメロ・Bメロ・サビの5分構成で終わる日本の歌謡ロックはクソだと思っていたから、奇妙奇天烈なキワモノの曲ばかりを作り、演奏した。
客受けは非常に悪かった。毎月タマエの知人が経営する箱でライブをしていたが、最大動員数が6人という惨憺たる有様だった。その客の内訳も、大学の軽音サークルの友達と、タマエと、タマエの友人といった感じで、要するに内輪の域をまったく出なかった。「深遠」のメンバーはライブが終わるたびに近所のファミレスで反省会を行った。「練習量が足りない」とか「ベースの音がでかすぎる」とか「ライブパフォーマンスが雑」とか色々な反省点が見つかり、何かと工夫して改善を試みたが動員数は一向に増えなかった。
最大の問題点は、多分ボーカルの僕がとてつもなく音痴だったということだ。それは僕も含めてメンバー全員が薄々感じていたことだったが、とうとう最後まで誰も口にできなった。「プログレッシブ・ロックに歌唱力は要らない。プログレッシブ・ロックに必要なのは芸術性と表現力だ」というのが当時の僕の持論だった。
今考えてみるとそれは、自分が音痴でありながらプロのミュージシャンを目指していることを正当化するためのスケープゴートに過ぎなかった。あの頃の僕はあまりに青すぎた。
「音楽で世界を変えるんだ」
あの頃毎日のように、この言葉を口にしていた。タマエと飯を食べている時、大学の友人と呑んでいる時、風呂の中で、寝る前に、僕はこの言葉を呪文のように唱えていた。
本当は、とても怖かったのだ。人生がとても恐ろしかった。「こんなことをやっていたらいつかホームレスになってしまうんじゃないか」って、心の中ではいつも思っていた。その恐怖を打ち消すために、僕は「音楽で世界を変える」という呪文を唱え続けた。でも、心の底ではわかってたんだ。そんなことは僕には無理だってことを、頭のどこかでは理解していた。理解していながらそれを認めたくなくて、あの頃の僕はいつももがいていた。
「深遠」は結成して2年で解散した。ベースが「深遠を抜ける」と言い出したからだ。就職が決まってこれ以上活動を続けられそうにないとベースは言った。僕は彼を裏切り者扱いして罵倒し、ぶん殴ってあわや訴訟沙汰という所までいった。僕はベースの代わりを探して「深遠」の活動をなんとか続行しようとした。だけどそうこうしているうちにドラムまでいなくなってしまった。タマエの話によれば、ドラムはパチスロ中毒で、消費者金融に数百万円の借金を抱えていて、ヤクザに追われていたらしい。
ドラムはその後行方不明のまま、帰ってこなかった。
「深遠」解散後、全てに絶望した僕はタマエのマンションから逃げ出した。僕は自分の中から「深遠」結成後の2年間を消し去ることにした。ベースとドラムとタマエとタマエの友人の携帯アドレスを消去し、日野の実家に戻った。
母は「あら、おかえり」と言った。親父は「やっと帰ってきたか、早く就職しろ」と言った。2年間も音信不通だったというのに淡々としたものだった。考えてみれば、タマエのマンションが高円寺にあって僕の実家は日野にある。電車で1時間もかからない距離に僕はいたわけで、親父も母も探そうと思えばいつでも探せた。あとから聞いたら、妹が高円寺にちょくちょく様子を見に来ていたらしい。
実家に帰った僕は、大学に復学した。大学に僕の籍はかろうじて残っていて、ゼミの教授に文句を言われながら卒業論文を書き上げて、卒業した。そして小さなIT企業に就職した。それから8年があっという間に過ぎた。3年前に僕は妻と結婚して、今では完全な仕事人間、骨の髄までサラリーマンである。
けれども今でも寝る前にふと、音楽活動をしていた2年間の事を思い出すことがある。あのまま音楽活動を続けていたら、32歳の僕は今、何をしているのだろう?相変わらずタマエのマンションでヒモをしているのだろうか。タマエは優しい女だった。タマエは僕が何をしていても笑いながら見ているだけだった。
あれからタマエには一度も逢っていない。
続く
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投稿 ボイストレーニングスクール東京ボイス | 2008年5月 8日 (木) 14時45分