【オタク論】~ボクのオタク史 総括~

 このあたりで一旦、このシリーズの幕を引きたいと思う。
 以下、総括と言うか反省点になるが、つらつらと書き記しておきたい。

 この文章を書こうと思い立った動機は「調べて書く」訓練をしたかったからだ。漫画にせよ、音楽にせよ、小説にせよ、これまで一切の取材を行わない場当たり的な創作スタイルを貫いてきたが、齢三十に近付くに従って限界が見えてきた。故にここらで「ネタの仕入れを計画的に行って書く」という新たなスタイルを手に入れる必要性をひしひしと感じていたワケである。で、その練習としてこれを書いてみてみた次第だ。

 始めて資料を大量に引いた。この文章を書くのに、5倍くらいの文章を参照にして文章を構成している。(これでは参照量が全く足らないらしい。立花隆に言わせれば「理想的なインプット:アウトプット比は100:1だそうだ。まーあのおっさんがマトモな事言ってるのかどうかは怪しいもんだけど)資料と自分の記憶やアイデアの間で化学反応を起こさせながら書く、という行為は思いのほか楽しかった。が、見ての通り、惨憺たる出来具合であるwこうなってしまった原因は、明らかにフォーカスの甘さにある。「オタクの歴史」では主題が広すぎて、思考を集中させることができない。十分に時間を書けて計画し、文章を書くのはそれからだと自分に言い聞かせてはいたものの、まだまだ準備不足であった。
 このような労力的にハイコストな文章と、ブログの相性にも問題があるかもしれない。ブログは「文章を売る店舗」みたいな意味合いがあるから、毎日更新しないと開店休業の店みたいになってしまう。が、毎日更新することを念頭に置くと、どうしても執筆以前段階の作業が疎かになってしまう傾向がある。この辺りのバランスも、今後ブログをやっていく上で重要な課題となるだろう。

 今回も商材に困った挙句、自らの反省点を店頭に陳列している始末であるw全く持って未熟であると言わざるをえない。

 このようなよちよち歩きのブログであるが、我慢強く付き合ってくれている数少ない人たちには頭が下がる思いだ。本当に感謝している。ありがとうございます・・・今後はもうちょっとマシになっていこうと思うので、末永いお付き合いをヨロシクお願いしたい所存でございますです、ハイ♪

 それではまた明日~

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【オタク論】~僕のオタク史 11~

 今日は、これからオタクはどこへ向かっていくのか、オタクの未来についての考察を行いたい。

 僕の予測では、TVがオタク文化を取り上げて面白おかしく演出する時代は、終焉に近付きつつあると思う。TVにとっておいしいオタクネタは、ほぼ消費し尽されたということだ。インターネットはゆっくりと衰退していき、マニアのものに戻る。これ以上【曖昧な存在】がインターネットに興味を示すことはないだろう。
 コンピューターは、誕生以降恐ろしいくらいの速度で進化し続けた。しかし、この進化も終焉を迎えつつあると僕は考える。ひろゆきが言ったように「これ以上インターネットは社会を変えない」だろう。今後もスピードの向上など、わずかな成長は望めるかもしれないが、それ以上の進化は望めない。即ち、情報化社会は成熟期に入ったということである。
 今後、技術的にホットな分野は、コンピューター技術から環境技術へと移っていくだろう。地球温暖化という深刻な問題を解決するために、才能のある技術者が求められている。この結果、インターネットは過疎化する。本当にコンピューターを愛している物好きだけがたむろする、温度の低い社会へと退行すると思われる。

 世間の興味はオタクへと向けられなくなっていく。メイド喫茶も秋葉アイドルも、これから数年で一気に減少するだろう。既にその兆候は見え始めている。メイド喫茶文化の延長線上にあり、今頂点に君臨している「しょこたん」の人気は、近いうちに暴落する。可哀想な事だが、彼女は恐らく非常に残酷な形で人気の低下を経験するだろう。
 日本国内で「オタク離れ」が起こる一方で、ヨーロッパ、アメリカ圏でのオタクブームは、今後加速していくだろう。オタク文化を食い物にしたアート作品は、今後も隆盛を誇ると思われる。同時に日本製のアニメ、ゲームも、海外で高く評価されていくだろう。が、日本国内に限ってはアニメ産業も衰退していくと思われる。10年後には韓国、中国が非常に良質なアニメを生産する時代が訪れ、推進力を失った和製アニメは淘汰されていくだろう。

 漫画市場は深刻な不況を迎えるだろう。雑誌の発行部数は低下の一方を辿り、10年以内に3大少年誌のひとつが廃刊する。一方で同人誌市場はこの影響を受けず、今後も同じような繁栄を続けるだろう。コミティアのような創作漫画イベントは、今後急速に成長していくだろう。漫画はエンターティメントとしての役割を終え、絵画や書道などと同じく教養、文化のひとつとして考えられるようになる。このような土壌から、いままではとは違った形の傑作が生まれてくるだろう。それは、これまでのような刺激的なものとは違って、大人しい感じの、児童文学や絵本のような形態をとると思われる。

 総合的に見て、オタクはこれまでのような勢いを失う一方で、穏やかに洗練されていくだろう。
 それが良いことなのか悪いことなのかは、現時点ではわからない。
 ともかく、今後このような変化が起こるのではないかと僕ちゃんは考えている。

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【オタク論】~ボクのオタク史 10~

「メイド喫茶」という文化の誕生は、オタク文化全体に大きな変化を与えることになった。女がいるところに、男は無条件に群がる。DQNが連れて来た女たちに群がった男達は、オタクでもなくDQNでもない【曖昧な存在】だった。彼らは基本的に無趣味、無思想であり「なんとなく面白そう」なものには無節操に飛びついていく性質がある。彼らはその個性が埋没しているため、メディアでその存在が取り沙汰されることは滅多にないが、間違いなく日本人を構成する人種の中で一番多いタイプである。
 この【曖昧な存在】達が、いつしか自分達を「オタク」と名乗り始めた。その理由は、メイド喫茶等にいる女たちとお近づきになりたいがため、である。「曖昧な人種」達にとって、この女たちは実に都合のよい存在であった。【曖昧な存在】達はギャルが苦手である。HIPHOPのクラブに出現するようなギャルが、自分達を相手にする筈がないと考えているからだ。彼らが女性に求める性質とは「おとなしそうで、可愛い」である。メイド喫茶に生息している女たちは、彼らの嗜好と実にマッチしていた。
 【曖昧な存在】達が一箇所に群がり始めると、その匂いを嗅ぎつけて表れるものがある。それは「TV」である。TVは【曖昧な存在】達が何を求め、何を考えているのかを常に探っている。【曖昧な存在】達に娯楽を与え、暇を潰させるのが彼らの仕事なのだ。

 こうしてオタク文化は、TVによって面白おかしく演出され、世間の元に晒される事となった。TVの影響力は絶大である。その力は、インターネット網が発達した今も尚健在だ。まったくマイナーな存在だったものも、ゴールデンタイムのTV番組に登場した瞬間から一気に有名になる。
 TVというものは非常に特殊な性質を持っている。TVはとても「公的な」ものだ。TVにおいては何百万人という人間がひとつの情報を同時に共有する。普段ならば聞き過ごしているような失言でも、TVの中でそれが発せられた時、膨大な数のクレームが寄せられることがある。TVの中では最大公約数的な常識が何よりも優先される。それが破られた時【曖昧な存在】達はとてつもない恐怖を感じるのである。
 よってTVの中では、ある情報が「真実であるかどうか」よりも「公的であるかどうか」の方が優先される。「公的」であるためならば、TVは平気で真実を歪める。【曖昧な存在】達を安心させる為ならばTVは手段を選ばない。彼らに娯楽を提供することが、TVの存在意義だからだ。

 この状況に一番危機を覚えたのは、黎明期のオタクたちだった。彼らは現在40歳~60歳になっている。この人たちはオタクとして生まれ、オタクとして死んでいく自分の運命を受け入れている。彼等にはそれ以外に生きる道が無いのである。それだけに、この状況には強い恐怖を覚えている。彼らは変化を受け入れない。環境に合わせて変化していく事は、彼らにとっては精神的な死を意味するからだ。彼らは鋼鉄の精神を持っている。強靭だが柔軟性はない。そんな彼らが出した結論は「オタク文化の分離」だった。

 彼らは自らをオタクと名乗り始めた【曖昧な存在】達に【第三世代】という名前をつけた。そして自分達のことを【第一世代】と呼び、全く別のものであることを主張し始めた。
 自分達は高い知性を持ち、俗世間を忌み嫌っている。【第三世代】のオタクたちは世間に迎合しているIQの低いバカばかりで、こいつらを自分達と一緒にされてはたまったものではない、というのが彼らの意見だ。僕としてはこの分離に何の意味があるのかまったくわからないが、きっと彼らには意味があるのだろう。彼らは異常なまでに高いプライドを持っている。まるでイギリスの貴族階級のような強烈な自尊心と排他性をもって、彼らは文化水準を保とうとする。僕もプライドの塊のような人間だが、彼等のやり方にはとてもついていけない。

 ってな感じでもうちょい続きます・・・

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【オタク論】~僕のオタク史 9~

  今回は自分語りから離れて、21世紀以降のオタク文化の流れを追ってみたいと思う。

 21世紀に入ってから、オタクの社会的地位は一気に上昇した。この原因となったのは

  1 インターネットが一般に普及し、オタク文化の露出が増えた。

  2 アート界の人間が積極的にオタク文化を取り入れた作品を発表した為、
   諸外国のオタク文化への興味が高まり、逆輸入される形で日本でも人気が出た。

  3 国家が「ゲーム、アニメを重要な産業のひとつと位置づける」と公言したことで
    権威付けがなされ、一般人にも尊敬すべきものとして見られるようになった。

 という3つの要因が考えられると僕は考えている。特に1番の「インターネットの普及」は影響が大きい。21世紀に入るまでは、インターネットはまだオタクのものだった。オタクが「DQN」と別称で呼んでいるような人種は、言葉では聞いた事はあってもネットにアクセスしたことがないというのが実情だったのである。
 21世紀以降、携帯電話でのネットサーフィンが可能になったことでこの状況は一変することになった。(ネットカフェの存在も関係しているが、影響力で言えば携帯の方が大きいと考えている。)第三世代携帯が主流となり、携帯による高速通信が可能になったことで、携帯のみを使用するネットサーファーが激増した。これがDQNと呼ばれる人々がインターネットに大量に流入した原因である。(僕は彼らのことを「丘ネットサーファー」と呼んでいる。)
 DQNがオタク文化に接触するということは、同時に大量の女性がオタク文化に介入してくることを意味する。オタクは同性だけの群れを作るが、DQNは女連れで行動するからだ。実際のところ、現在でも男オタクと腐女子の間にはあまり交流が見られない。あくまでオタク文化の中にDQNが女を連れ込んだことが、オタク変容の大きな要因なのである。
 DQNに連れられてオタク文化に介入した女たちは、インドアに終始するオタク文化を退屈なものと考えた。そしてオタク文化を材料に、もっと盛り上がれるのではないかと言うことを考え始めた。このような人々は、当時隆盛しつつあった「メイド喫茶」という文化の中に取り込まれることになる。


時間切れ。続く・・・

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【オタク論】~ボクのオタク史 8~

 さて今回は、90年代中盤の話。

 それのしても、この文章群の一体どこが【オタク論】なのか?単なる人生史ではないか。正直この文章が、他者にとって価値あるものとは思えない。が、「始めてしまったことは決着がつくまで投げない」のが僕の信条なので、最後までやり通そうと思う。物好きな方はお付き合い下さいまし。

 というわけで本文。

 高校時代を格ゲーとエロゲーとエヴァンゲリオンに費やした僕は、卒業さえ危ぶまれる程の成績だった。そんなわけだから、とりあえず大学を受験してみたものの当然のごとく失敗し、一年間の浪人生活をすることになった。 
「大学に進学したい」という強い意志があったわけではない。他にやるべきことが全く思いつかなかったのだ。僕はとりあえすはモラトリアムを維持することにした。両親が喜びそうな偏差値のそこそこ高い大学を受験することに決め、受験勉強に精を出すことにしたのだ。
 僕は元来「勉強」というものが好きだ。受験勉強にはなんの意味も無いと思うが、数学や化学を学ぶことはそれ程苦痛ではなかった。なんとなく受験勉強していたら、なんとなく志望大学に受かり、一年後には大学生となっていた。 無論、受験勉強の最中公開された劇場版エヴァンゲリオン「まごころを、君に」にだけは外すことなく観に行ったことは言うまでもない。

 こうして大学生となった僕は、滋賀県で一人暮らしを始めることになった。それから数ヵ月後、住んでいたマンションの隣の隣にどぶ大根が住んでいたことがきっかけで、天誅活動を始めることになる。僕の大学生活は本当に無軌道で自堕落で、何の生産性も思い出も残らない、極めて無駄な4年間だった。もしも天誅を結成していなかったとしたら、大学生活4年間は僕の人生の黒歴史となっていただろう。
 大学の講義は実につまらなかった。僕が入った学部は「情報科」で、トラウマになって触れなくなっていた筈の、コンピューターに関する勉強をする場所だった。
 ここで、僕のコンピューターに関する知識は大いに役に立った。僕の持っているコンピュータの知識は時代遅れの使い物にならないものばかりだったが、大学で教えていたことも、時代錯誤もいい所の無駄知識ばかりだったからだ。大学3年生までの講義は、中学校の頃に必死になって勉強していた内容であり、僕は何の苦労もせずに3年間を過ごすことができた。4年生になってゼミに配属されると、突然最新の知識が必要となり、当然の如く落ちこぼれることになるのだが・・・。
 
 話をもう少し一般的な方向に向けよう。 
 
 この頃、インターネットが急速な発達を遂げた。(この言い方は厳密に言うとおかしいが、一般に意味が伝わればよいという考え方から「インターネット」という言葉の広義・狭義の定義についての議論はしないこととする。)WINDOWS95にウェブブラウザが標準装備されたことで、インターネットに一般の人々が手軽に接続するようになった。個人がホームページを持つようになったのも95年以降のことだと思う。
 天誅がこれだけ多くの人間に知られるようになったことと、インターネットの発達の間には密接な関係がある。もし天誅の結成があと5年遅ければ、今のような知名度には絶対にならなかったはずだ。
 天誅結成当時の’98年には、MP3というものが一般的に普及しておらず、ネットに曲をアップロードできるようなバンドはごく少数に限られていた。加えて言うならば、レコーディングスタジオの力を借りることなく(即ち極めて低コストで)プロと同等のクオリティの音楽を提供できる集団は、天誅の他には数えるほどしかいなかった時代だったのである。今ではこのようなアーティストは星の数程存在しており、競争率は当時の比ではない。この意味で天誅は、ものすごく運の良いグループだったと言えるだろう。
 当然のことながら、’99年に設立された「2ちゃんねる」と天誅も無関係ではない。設立したばかりだった「2ちゃんねる」で’99年に発表したハイエンドオタクが話題になるや、天誅の知名度は一気に跳ね上がった。その後もインターネットの普及と並行して、天誅はゆっくりと拡大していった。思い起こせば僕の人生は、いつもコンピューターに振り回されていたような気がする。コンピューターは僕に希望を与え、絶望させる。そしてまた希望を与えるのだ。まったくもって妙な縁である。

 

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【オタク論】~ボクのオタク史 7~

「新世紀エヴァンゲリオン」  

 このアニメは、これまでアニメを殆ど見たことがなかった僕に大きな衝撃を与えた。エヴァがどんな作品だったのか、とか、社会にどういう影響を与えたのか、ということの詳細はウィキペディアでも見ればわかる話なので割愛させて頂く。
 エヴァ放映後、格ゲーのパロディが大部分を占めていた当時の同人誌市場は、一気にエヴァ一色となった。男性向け同人誌だけでなく、女性向け同人誌もエヴァ本が大量に発刊された。あの頃全ての同人シーンがエヴァの影響下にあった。それだけはない。教養人も、サブカル野郎共も、およそ考えられるあらゆる文化層の人間がエヴァに熱狂していたのだ。これだけの影響力を持った作品を作り出したアニメ監督は、庵野秀明の他には宮崎駿と富野由悠喜しかいないだろう。宮崎も富野も猛烈にエヴァに嫉妬し、庵野を批判した。あの二人にとって「批判」とは最大の賛辞であるから、エヴァは間違いなく日本アニメ史に残る最高傑作のひとつなのである。

 一体エヴァの何があそこまで人を熱狂させたのだろうか。脚本は完全に破綻しているし、SFとしてみた場合、決して出来が良いとは言えない。
 エヴァはセオリーとはまったく違う場所にあるアニメだった。すごいのはテクニックではなく、クリエイター達の純粋な情熱である。エヴァは、思い付きを思いつきのまま、何の加工もせずに形にしたからこそあのような作品となった。エヴァとは言わば奇跡の作品なのである。物語序盤から提示されていた伏線が最後まで解明されなかった事に対して、当時様々な批判が飛び交った。が、今考えてみれば「伏線」などというものははじめから存在しなかったのだ。想像力の限界に挑戦し、大風呂敷を広げられるだけ広げてみるという壮大な実験―恐らくはそれがエヴァの正体であろう。庵野秀明も、広げた風呂敷を上手く畳めるかなんてことは考えていなかったのだと思う。故にエヴァが破綻することは必定であったのだ。
 時代の流れと、その時代に生きた人々の心―それがある一人の作家の心の中を通り抜けて素直にアウトプットされる時、奇跡のような作品が産み出される事がある。このような作品は作家の手を離れて、巨大な社会現象を引き起こす運命にあるのだ。幸か不幸か、そういう作品を生み出してしまった作家は、作品に人生そのものを飲み込まれて、ボロボロになってしまうことだってある。
 思うに、庵野秀明は、エヴァを作り出すにあたって【巫女】のような役割を果たしたのだと思う。ある特殊な感性をもった者は、時代の空気を吸い込むことで世界と同化し、その時代に生きる全ての人々の気持ちを代弁する役割を果たす。こういった人種は、太古の昔であればシャーマンであるとかイタコであるとか、そういった霊的な職業に就いていたのだろうが、科学が発達し、このような職業がインチキ扱いされるようになった今の世の中ではクリエイターにでもなるしかない。

 と、今なら思うが、あの頃の僕はそんな事は全く考えておらず、単純にハマっていた。TV放映分の25話を何度も見返して、劇場版に至っては26回も観た。それまでアニメを敬遠しがちであったことを深く反省し、色々とアニメを見るようになった。
 僕にとってエヴァンゲリオンとは、アニメ世界の入り口であったと言えよう。

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【オタク論】~僕のオタク史 6~

 
 ――【
組織】――。

 その活動は、メンバーのうちの誰かの家に集合し、ダラダラとラクガキを行い、シューティングと格ゲーに興じるというものであった。極めて非生産的なオタク集団である。僕とYは不条理電波漫画を描き、時おりコピー誌を作成して同人誌即売会に出品していたが、10冊くらいしか売れていない(Jは真面目な漫画やイラストを描いていた。) そんなダラダラとした集団ではあったが【組織】における活動はその後の僕の人生に実に多くの影響を与えた。

 そのひとつに格ゲーとの出会いがある。僕はそれまで格闘ゲームというものをやったことがなかった。僕は放っておくと硬派な方へ、硬派な方へと流れる習性がある。【組織】のメンバーと出会わなかったら格ゲーをやらずに生涯を終えたかもしれない。多分大戦略とかシヴィライゼーションとかウルティマ(notUO)とか、そんなのばかりプレイして過ごしただろう。(ちなみにエロゲーは別腹である。当時おまえ「未成年」じゃねーの?というツッコミは自重して欲しい)

【組織】が活動を始めた90年代初頭、格闘ゲームはブームの絶頂を向かえ、隆盛の極みにあった。ストⅡ、飢狼伝説、龍虎の拳、ヴァンパイアハンター、サイバーボッツ、ワールドヒーローズ(こいつは消えたか)など様々な格ゲーが次々と登場し、青少年の殆どがこれに熱中した。
 この影響で、漫画同人誌も格闘ゲームのパロディが大多数を占めていた。90年代初頭、男性向け同人誌市場の8割型が格ゲーのエロパロだったのではないだろうかと記憶している。この理由としては、パロディのネタとして数字を取りやすかったという事もあるだろうが、何よりも圧倒的にキャラクターデザインが魅力的だったことに原因があると思う。
 当時は格闘ゲームのキャラクターデザイナーが絵師界におけるヒエラルキーの頂点にいた。(この文章内では【絵師】という言葉の意味を【アニメ風の絵を描く人】と定義する。)最高の画力を持った絵師だけが格ゲーのキャラデザになることができる、という信仰みたいなものを絵師の殆どが共有していた時代であった。
 カプコンのキャラデザをしていた安田朗&西村キヌや、SNKのキャラデザをしていた森気楼などの存在は絵師達の中で神格化され、カリスマとして崇められていた。今となってはその影も形もないが、当時はそういう風潮が色濃くあったのである。デザインの世界というのは流行り廃りのスピードが恐ろしく速い。そのスピードは年々加速しているような気がする。「もえたん」の作画や「わたおに(渡る世間は鬼ばかりはではない。)」の作画も、発表当初は「殺人的に萌える」として世間にもてはやされたが、今や「なんとなく微妙」という感じがする。これだからデザインの世界は怖い。
 話が少し脱線したが、とにかく【組織】の一員となったことで僕も格ゲー文化に触れ、その世界の奥深さを知ったのである。キャンセル技の練習に勤しみ、ナコルルやモリガンといったキャラにどっぷり浸かった。

 このように、僕の高校時代のオタクライフは 「格ゲー・エロゲー・時々漫画」という、90年代初頭の男オタクが有していた典型的パターンを踏襲したものであった。その他にやったことと言えば恋愛とカラオケとバイトである。中学時代に比べると恐ろしく軟派に転向したものだ。学校の成績も、中学では上位クラスだったが高校では400人中398番位だった。卒業後に教師に聞いた噂では、あと少しで留年という所だったらしい。まったく危なっかしい高校ライフであった。
 
 この時期、今や伝説的な存在となったアニメが放映された。それまでアニメといえば「一休さん」くらいしか見たことがなかった僕は、この作品を見てどっぷりとアニメの世界に浸かってしまった。このアニメによって僕の人生は大きく捻じ曲げられたといっていい。
 
言うまでも無く、そのアニメとは「新世紀エヴァンゲリオン」である。次回はエヴァと僕の関係について語りたいと思う。

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【オタク論】~ボクのオタク史 5~

 人生に目標を失い、進学という道を選んだ僕は、それからというもの極めていい加減に日々を過ごしていた。端的に言うと実に高校生らしい、学生ライフをエンジョイした。恋にバイトに大忙し・・・みたいな感じである。嫁と付き合い始めたのもこの頃だ。
 パソコンからは殆ど足を洗い、エロゲーしかやらなくなった。プログラミングに対する情熱は失われてしまっていた。もう一度気持ちを入れ替えて、一からC言語を勉強しなおしたって、どうせまた新しい言語が出てきて時代遅れの知識、技術になってしまうんだろうと思うと、中学時代ほどの情熱をプログラミングに注ぎ込む気にはとてもなれなかった。

 高校では漫研に入った。80年代後半~90年代初頭のオタクというのは、パソコンと漫画の二つを趣味に持つ人が非常に多い。僕もそういったありふれたオタクの一人であった。
 漫研に入ったといっても、真面目に漫画を描いていたわけではない。部室に溜まって雑談に興じ、カラオケに行くだけの毎日であった。この頃狂ったようにカラオケに通い詰めたことがきっかけで「自分は結構歌が上手いのだ」という事に気付いた。この自堕落な漫研ライフがなければ、僕はヴォーカリストにはならなかっただろう。本当に音楽には興味が薄かった。初めてCDを買ったのは中学2年の頃だったし、それ以降も人並み以上に音楽を聴くことはなかった。
 ただ、高1の時に電気グルーヴを聴いて衝撃を受けたことだけは確かだ。そこに僕は、オタク文化と音楽の融合の可能性を見た。そして1989年の幼女誘拐殺人事件以来悲願であった「オタクの社会的地位向上」という夢を、音楽を利用することで達成することができるのではないだろうかと考えた。サッカーと野球と恋愛とテレビドラマにしか興味を示さない馬鹿な同級生達も、音楽であれは反応を示すだろう。どうやら僕は歌だけは人並み以上に歌えるようだし、やってみる価値はある―
 そう考えた僕は、中学時代の友人であったYと共に「マニアリアン」という打ち込み専門のバンドを結成した。僕は楽器が弾けないし、曲も作れないので技術的な面においては全てYが担当することとなった。この「マニアリアン」は天誅の前身である。この頃から現在に至るまで、僕がやっていることは何ら変わっていない。歌詞を書いて歌っているだけだ。 
「マニアリアン」では真剣に音楽活動をしていたわけではなかった。Yが曲を作り、僕が歌詞を書く。ついでにレコーディングの真似事などをしてデモテープ的なものを作った位だ。若い頃に誰でも一度はやってみるような、他愛もない活動をしていただけでライブなどはやっていない。

   ところでこのYという男は、僕のオタク人生と密接に関わりあっている。Yはコンピューター研究会の部員仲間で、僕とは別の高校に入学したが、今に至るまでずっと交友を続けている。中学を卒業する直前に、このYと、もう1人の友人Jを中心として【組織】という名の集団を結成した。この【組織】という得体の知れない集団の活動内容は何かというと、週末に誰かの家に集合し、徹夜で萌え絵や電波漫画などのラクガキをすることと、格ゲーとシューティングに勤しむことであった。たまに即売会で同人誌を出品することもあった。

 この決して生産的とは言えない【組織】での活動が、その後の僕のオタク人生に大きな影響を与えることになる。
 次回はこの【組織】というものについて語ろうと思う。

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【オタク論】~ボクのオタク史 4~

 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件。この事件が起こるまで「オタク」という存在は世間に認知されておらず、世界の片隅でのんびりと趣味に勤しんでいた。(「オタク」という言葉自体の語源は1983年にまで遡る。興味のある人はウィキを参照されたし。)
 この猟奇殺人事件にマスコミは熱狂し、犯人の宮崎勤を「オタク」であったと位置づけた。その上で「オタクというのはみんな宮崎みたいな危ない奴等だ」という誤った情報を報道したのである。バラエティ番組はここぞとばかりにオタクを風刺したネタを放映し、視聴率稼ぎに走る。宅八郎がTVに登場したのもこの頃である。

 インターネットがなかった時代、TVの影響力は絶大で、僕の通っていた学校でもオタクが差別されるようになった。こうなると当然のように「コンピューター研究会」がやり玉に挙げられる。徐々に僕らを見る女子の目が厳しくなっていき、部員の中にもいじめに遭う者が出てきた。
 僕はオタクであったが、おとなしい性格ではまったくなかった。いじめられた経験というのは殆どないと思う。よく「オタクはプライドが高い」と言うが、その中でも僕は特出してプライドが高かった。だから、このようなオタク差別の状況には耐えられず、からかわれようものなら全力で飛び掛っていった。このため不良グループに何度も呼び出され、殴られることがしばしばあった。
 この時僕は、自分の部活と、オタク(主に自分)のイメージを回復させるべく必死になって戦っていた記憶がある。どうしたらオタクの社会的地位を向上させられるか?どうしたらサッカーと野球とスーパーファミコンにばかり熱を上げる馬鹿共にオタクのカッコよさを伝えられるか?そればかりを必死で考えていた。恐らくはこの憎悪交じりの強烈な気持ちが、後に天誅活動として昇華されたのだろう。

 この暗黒の時代にも僕は、プログラムの技術を密かに磨いていた。「自力でゲームを作る」―それが当時の大きな夢だった。ミニゲームのようなものであれば、MSX時代に何個も作っていたが、光栄やシステムソフトが作るような、大規模なゲームをどうしても作ってみたかった。 が、ここでも時代の流れが僕に大きな挫折を味わせる。

 WINDOWSが誕生したのだ。

 正確に言えばWINDOWSが実用化された、という事である。WINDOWS自体は1985年から存在していたが、MS-DOS上で動くアプリケーションの一つに過ぎなかった。当時のスペック(クロック周波数16MHZとか当たり前だった。)では、GUIであるWINDOWSは遅すぎて使い物にならなかったのだ。

 コンピューター研究会の顧問だったオタク教師が「これからはWINDOWSの時代だ。MS-DOSなんて時代遅れだ」と何度も言っていたから、その存在は気にはしていた。だが、MS-DOSとN88-BASICの環境に慣れ親しんでいた僕はWINDOWSを敬遠し、従来の環境にこだわった。とにかく早くプログラムを習得して売れるようなゲームが作りたかった。自ら作ったものを売って生活できるようになれば、意味のわからない学校の勉強からも解放される。そう信じていた。WINDOWSなんかにかまっている暇はなかったのだ。

 WINDOWSの時代なんてまだ先だ。僕は地に足のついたMS-DOSでいいや。

 そう思っていた。それが大間違いだったのだ。それから数年の間にパソコンの性能は飛躍的に向上し、WINDOWSの時代はすぐにやってきた。MS-DOSは過去の遺物となり、パソコンメーカーもどんどんWINDOWS専用のソフトを作るようになっていった。
 この時期に「C言語」も強力な影響力を持つようになった。プログラミング言語と言えばC、といった空気になってきた。僕はBASICやアセンブラは時代遅れの言語で、実際の現場ではもう使われていないという厳しい現実を知った。
 当時僕のプライドを支えていたアイデンティティは「パソコンに一番詳しい」という事だった。だが時代の流れは、僕の持っている知識を時代遅れのものにしてしまい、僕のプライドを見事に打ち砕いていった。
 最早「パソコン」の時代ではなかった。「PC」の時代がやってきたのだ。愛読していたパソコン雑誌が次々と廃刊していった。ポプコムが廃刊し、MSXマガジンが廃刊し、テクノポリスが廃刊した。こうしてまたも、僕が愛していたものは消えていった。
 僕はこれがトラウマのようになり、パソコンから遠ざかるようになった。中学3年生の時に、父親が40万円もするPC-9801を買ってくれたのに、それは埃を被るようになっていた。

  夢を打ち砕かれてすることがなくなった時期、受験シーズンが訪れた。もう僕は受験勉強に打ち込むしかなかった。それまで進学なんて考えてなかった。早く大人になりたくて仕方なかった。大人になれば全てから解放されて自由になれる、そう信じていた。中学を出たらゲームを作ろうと思っていた。けれども、僕の能力ではお話にならないことが明白になってしまった。

 僕はなんとなく受験勉強をこなした。そして両親が納得しそうな、まあまあ偏差値の高い、そつの無い高校に入学した。



 なんか暗ーい話になってきましたww楽しいこともいっぱいあったんだけど、自分の人生を文章として構成しようとすると必要以上に暗くなるね♪次回はもうちょっと明るい話題になると思いますのでヨロシクですっ


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【オタク論】~僕のオタク史 3~

 中学に入ると、ひとつ問題が浮上した。
 僕の通っていた学校は、なんらかの部に所属することが強制されていた。存在するのは大嫌いなサッカー、野球を始めとする運動部とブラバンだけでどれもこれも全く興味が持てない。僕は窮地に立たされた。

 また好きなことをする時間を奪われるのか。
 なんとかしなければ自由が奪われてしまう。

 僕は小学校時代の経験から学んでいた。周囲の圧力や時代の流れを受け入れていると、どんどん窮屈になる。自分の居場所は戦って勝ち取るしかないのだ。この状況にも必ず突破口があるはずだ―
 そう考えた僕は、学校にコンピューター室がある事に目をつけた。興味のある部活がないなら自分で作ってしまえばいいのだ。僕は仲間と一緒に新しい部を設立するべく教師達に掛け合った。

 意外にも、あっさりと部は設立した。こうして僕は自ら立ち上げた「コンピューター研究会」の部員になり、大嫌いな野球やサッカーから逃れることに成功した。加えて大きなオマケが付いてきた。部室となったコンピューター室に設置されていたパソコンが、PC-9801DXだったのだ。これは前述の8801よりも上位機種であった。こうして僕は、小学生時代絶対に手の届かなかった憧れのパソコンに、好きなだけ触る機会を手に入れた。
 授業が終わった後はプログラムに没頭する。文句を言う奴は誰もいない。ついでに家にPC-9801を持っている奴を部員に勧誘し(野球部から引き抜いた)そいつの親父の持っていたパソコンゲームを持ってきてもらって遊んだ。まだ子供だったしもう時効だろうから白状してしまうが、思いっきり違法コピーをしていた。(右も左もわからん厨房だったんだもん・・・許しとくれやー)
 当時のゲームは全てフロッピーディスクに入っており(HDDはとんでもない値段だったし、CD-RもDVD-Rもなかった時代の事だ。)Wizard98というソフトで(違法に)コピーすることができた。あの時代、メーカーがFDにコピー防止のプロテクトをかけ、ユーザーがプロテクト外しにやっきになるという壮大ないたちごっこが行われており、僕は子供心にカッコイイと心酔していた。中学になったころには8ビットならマシン語のプログラミングもできるようになっていたので、プロテクトについての研究は随分としたものである。
 夏休みになると部員を集めて部室のコンピューターをライン接続し、信長の野望5人対戦をして、教師に見つかって殴られたこともある。当時ネットが全く普及しておらず五人対戦などはパソコンが5台ないと無理だったのだ。

 この当時の国産パソコンゲームには素晴らしいものが多い。今では国産パソコンゲームメーカーは殆ど潰れてしまい、大手が僅かに存在するだけとなっているが、この頃には新興のゲームメーカーが無数に存在した。
幻影都市、サーク、ブランディッシュ、ダイナソア、ソーサリアン、ティルナノーグ、A列車で行こう、英雄伝説など、面白いゲームが腐るほどあった(殆どコンシューマーに移植されとるね。)。1990年にはスーパーファミコンの発売に世間が騒いでいたが、僕は華麗にスルーしてプログラムとパソコンゲームに熱中した。エロゲーもどこかで入手してきてやってた覚えがある。(何故か校舎の中でドラゴンナイトを発見したw)
 また「ソフケット」という同人ソフトの即売会が東別院というところで行われており、そこへ行くと中学生でも18禁の同人ゲームが買えた。今なら即イベント中止命令が出されるが、当時は無法地帯だったんだろうか。ちょくちょく出向いて買ってきては学校のパソコンでやっていた。

 このように順風満帆のオタクライフを満喫していた僕だったが、ある時この後の人生を左右する決定的な事件が起きた。それが東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件=俗に言う宮崎勤事件である。 このあまりにも有名で残酷な事件は、僕が小6の時―1989年に起こった。問題はこの事件が残した影響が、その後数年かけてジワジワと広がっていたことにある。この事については次回述べたいと思う。



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【オタク論】~ボクのオタク史 2~

 80年代後半、僕が小学校3~4年生の時に「ファンタジーブーム」なる社会現象が起こった。火付け役となったのは「ドラゴンクエストⅡ」という、誰もが知っているファミコンゲームである。 僕は何故かドラクエにはあまり興味を抱けなかった。ブームに乗っかってドラクエⅡを購入したものの、すぐに飽きてしまったのだ。
 何かが決定的に違う感じがした。「僕の求めているものはそこにない」という、不思議な直感だった。

 ファンタージーブームの追い風に乗り、一部のマニアしか知らなかった「ウィザードリィ」や「ウルティマ」といった外国のRPGやD&DなどのTRPGの情報が、小学生だった僕の耳にも入ってくるようになった。今では秋葉原や神保町にしかないマニアックなボードゲームやTRPGの専門店が、当時は辺境の名古屋にも相当数存在した。ドラクエにすぐ飽きてしまった僕は、その店に足繁く通うようになった。ブームの影響でクラスの同級生の中にもTRPGに興味を示す奴が何人か表れ、その中の二、三人と一緒にその店に行ったりTRPGをするようになった。
 
 この時期「社会思想社」という出版社から「ファインティングファンタジー」や「T&T」など外国のファンタジーRPG書籍が大量に発行された。今では考えられないが、当時のファンタジーブームの影響は凄まじく、それらを街の小さな書店でも購入することが出来たのだ。僕はそれらに夢中になった。ドラクエには全く感じられなかった不思議な魅力がそこにあった。混沌とした世界観とリアリティ―子供向けではないホンモノ感を、僕はそこから強く感じていた。前述したように、僕は子供っぽいものが大嫌いで、オトナの雰囲気が漂うものに目がなかった。子供向けのものからはどうしても「踊らされている」感を覚えてしまうのだ。僕は踊らされるのが大嫌いだった。
 日本発のファンタジーもこの時期隆盛した。安田均や清松みゆき、水野良といったメンバーが和製TRPGを
作り、これも世に受け入れられていた。僕もこの流れに乗っかり、友人達と楽しんだ。
 
 MSXでプログラミングに興じ、社会思想社の本を読み漁り、TRPGで遊ぶ。まさに至福の時であった。この時代は僕のオタク人生の黄金時代第1期である。
 が、至福の時間は長くは続かなかった。1990年を待たずしてファンタジーブームは急速に衰退していき、次第に書店でファンタジー関連の本を見ることも少なくなっていった。いまいち興味の持てないドラクエだけはその後も隆盛し続け、もっと興味の持てない「ファイナルファンタジー」というシリーズが、その後ファンタジーRPGの代名詞となっていった。一緒にTRPGを遊んでいた仲間たちも、ブームが去ると共に野球やサッカー、ファミコンの方へと戻っていき、再び住みにくい時代がやってきたのだった。

 時代の流れには逆らえず、僕もまたTRPGから次第に離れていった。その後は大嫌いな野球やサッカーに無理矢理付き合いながら、合間を縫ってパソコン研究の方に熱中していった。


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【オタク論】~ボクのオタク史 1~ 

 僕のオタクとしての記憶は、MSXに始まる。小学校1年の時にファミコンを買ってもらったが、僕はファミコンにはハマれなかった。いつもパソコンに対する憧れがあって、PC-9801やX68000からの移植ゲームばかりを買ってしまったのだった。そしてそれらは全てクソゲーであった。低スペックのファミコンに無理矢理移植するものだから、ゲームが崩れてしまうのだ。学校の友達はスーパーマリオやグラディウスに熱中していた。僕はこれらのゲームに全く反応しなかった。

「所詮子供のオモチャじゃん」

 という感覚があったからだ。子供の癖に、子供扱いされるのが嫌で仕方なかった。早く大人になりたくて仕方がなかった記憶がある。全てにおいて「大人のもの」を求めていた。選挙権が欲しかったし、自分で商売を始めたかった。自分の力で金を稼ぎ出すということに並々ならぬ興味を持っていた。
 当時僕は、ものすごくパソコンが欲しかった。何故パソコンが欲しかったかというと、ファミコンはゲームで遊ぶことしかできないが、パソコンならゲームを作る側に回れるからだ。なんらかの商品を自分で作って売るということがしたくてたまらなかった。6歳頃の僕は、パソコンさえあればそれができると信じて疑わなかったのである。

*注 今ではパソコンの事を「PC」と呼ぶ方が一般的だが、80年代にはパソコンと言っていたので、こう呼ぶことにする。

 だが、パソコンは当時非常に高価なものだった。当時最も一般的だったPC-8801の定価は22万8000円で、お年玉と小遣いしか収入源の無い小学生にとって手の届くものではなかった。

 そこでMSXが浮上する。僕が小学校三年生の時(1987年)には、既にMSX2が主流になっていて、大須(電気街。名古屋の秋葉原みたいなもの)に行くと中古のMSXは1万円も出せば購入することができた。それを知った僕は喜んで大須に行き、MSXを購入して家に持ち帰った。

 ここからプログラミングにはまる事になる。当時プログラミング言語として、小学生が扱えるのはBASIC位のものだった。図書館でBASICの入門書を借りてきて、プログラミングに熱中した。そんな小学生は僕の周りには、僕以外誰もいなかった。皆、野球とファミコンに明け暮れていた。僕はそんな同級生と全く話が合わず、次第に彼らを避けるようになっていった。
 だが「社交性のない人間はダメ。友達と遊びなさい」という両親の教育方針から、無理矢理にでも友達と遊ばなくてはいけなかった。小学校の頃、友達と遊ぶ時間は苦痛以外の何物でもなかった。大嫌いな野球。大嫌いなサッカー。対して興味の無いファミコン、全く興味の無い遊びに参加してイヤイヤ友達付き合いを保った。早く家に帰りたくて仕方無かった。家に帰ればプログラムが出来る。そればかりを考えていた。

 振り返ってみると、まさにこの時期こそ、僕のオタク人生の幕開けである。当時のオタク社会について僕は何も知らない。世界に僕と同じような人種が存在しているなんて知る由もなかった。インターネットもミクシィも無い時代、マイナーな趣味嗜好を持った人間は、周囲と話を合わせるより他なかったのだ。この点現代の子供は羨ましい。学校なんかに友達を作らなくても、日本中の人間と友達になれる。趣味の合わない奴と友達になる必要がないではないか。
 
「それでは協調性が生まれない」という意見もあるかもしれないが、ピアノ演奏者やスポーツ選手にだって、若い頃から同級生との友達付き合いをせず、狭い世界に生きているのだ。必ずしも広い世界に生きなくたって幸せに生きていく事は可能だと思う。
 
 そんなわけで僕ちゃんのオタク史黎明期編でした。次回もヨロシクっ!


 ・・・・つーか全然オタク史を解説してないな。単なる自分語りになってしまったっ・・・!!中二病全開!!!嘲笑してやってくださいww
 
 次回はもっと頑張りまーす♪


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【オタク論】~ボクのオタク史~ 序文

 僕は、オタクである。

 その認識の元に、30年近い人生を生きてきた。それは僕にとって誇りであり、大切なアイデンティティである。天誅活動において、漫画の執筆において、そして現在行っている執筆活動においても「自分がオタクである」という認識はとても大切にしている。その気持ちは今も変わっていない。
 
 この20年でオタクの有様は大きく変わった。秋葉原にカップル連れが出没するようになり、コミケにナンパに来るDQNが出現し、PCはオバサンでも使える「家電」のひとつとなった。近年に至っては「メガネ男子」という萌えのカテゴリーが誕生し、ついにはオタクの恋愛を描いた「電車男」などというドラマが放映され、高視聴率を獲得するような事態にまで発展した。今やオタクは完全に市民権を得た感がある。僕が中学生の頃などは「オタクがモテる」などという事は絶対に考えられなかった。一昔前までオタクとはネクラで協調性が無く、プライドばかりが高くてロリコンで危ない存在・・・というのが世間の常識だったのである。

 思えば僕にとって、天誅をやってきた十年間というのは、オタクがオタクのまま世間に認められるため、オタクの社会的地位向上の為の民権運動のようなものだった気がする。
 
「オタクだって家に篭ってエロゲーばっかりやってるわけじゃねーんだぜ?ここはひとつオタクのカッコイイ所を見せてやるぜ・・・!!!」

 というのが、僕が天誅を始めた動機だった。そしてその願いは完全に叶えられた。いや、完全以上のものだったと言っても過言ではない。今では僕を「オタクである」という理由で差別する人間など誰もいない。胸を張って「俺はオタクだ!」と高らかに叫べる、夢の様な時代が到来したのである。

 それは、とても幸福なことのはずだった。
 
 だが現実は違っていた。世間がオタクを受け入れ始めたのと時を同じくして、オタクの方にも変化が起こっていた。ネクラで協調性が無く、プライドばかりが高い・・・といった負の要素がオタクの中から消えて行き、その精神は外へ外へと向かっていた。その結果、メイド喫茶やオタ芸師、秋葉系アイドルが誕生した。
 オタクが外交的に変化したことによって、今までオタクの妄想の世界にしか存在しなかった物が、現実世界に形を持って現れ始めたのである。

 一見これは喜ばしいことに思える。実際「オタクの勝利だ!」と単純に喜んでいる層も相当数存在する。しかし僕は、これは決して「勝利」と呼べるような状況ではないと思っている。

 何故ならオタクの中にあった高度な知性や精神性、妄想が妄想であるが故の豊かなイマジネーションといったものが、急速に失われつつあるからだ。今ではオタク文化はバラエティ番組化してしまい、味が薄くなってしまって、かつてのような深いものが感じられなくなっている。

 この危機的状況を受けて、僕より上の世代のオタク達は「オタク」を

       【第一世代】     【第二世代】     【第三世代】

 という風に、ジェネレーションによって区別することで「別物」として扱い、自分達のアイデンティティを守ろうとしている。(面白いことにこの構造は、トールキンの「指輪物語」で、エルフが世界から去るシチュエーションにそっくりだ。)

 この区分によれば僕は【第二世代】に当たるオタクである。 僕は【第一世代】の彼等のように、この問題について割り切って考えることができない。10代~20代前半のオタク達が現在起こしているムーブメントを「品が無い」と決め付けて無視してしまうのは狭量な気がするし、単純に時代の流れに着いていけないオジサン達の負け惜しみではないかとも思う。 何よりこの問題の深層には、もっと重要な何かが隠されてるような気がして
ならないのだ。

 オタクとはなんなのか?
 オタクはどこから来て、どこへ向かっていくのか?

 このことについてじっくりと考察してみる必要性をひしひしと感じている。  そこで、この問題について【第二世代】のオタクである(らしい)僕なりの答えを出すべ、く本稿を執筆することを思い立った。
 
 具体的には僕のオタク史を振り返りつつ、80年代~現代に至るまでのオタク文化の流れを検証してみたい。何分にもレポート的なものは不慣れである為トンデモな論が飛び出して来るかもしれないが、その場合は笑ってやって欲しい。勿論ツッコミも大歓迎である。



 というわけで、序文を終わる。おヒマであれば、しばしの間魔王源の魂の叫びにお付き合い下さいませ♪

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