【小説】「UFOと親父⑮」

 ある日、タマエに出会った。
 中央線高尾行き各駅停車の車内だった。高円寺駅に電車が止まり、出入り口のドアが開いた瞬間、乗り込んできたタマエと目が合った。

「あら・・・ひさしぶり。」
 
 あまりにそっけない「ひさしぶり」だった。恨み節の一つでも言われるかと思った。僕はタマエの家から黙って逃げ出したのだ。それ以来タマエとは音信不通だった。僕のことを恨んでいて当たり前なのだ。
 それなのに、僕を見つけたタマエのリアクションは、1ヶ月会っていない友人にばったり出くわした時のような軽いものだった。どの面下げてと思われるかもしれないが、なんだか少し寂しかった。

 10分後、僕とタマエは阿佐ヶ谷の居酒屋で再開を祝っていた。何となくそのまま「サヨナラ」が出来なくて、僕の方からタマエを呑みに誘ったのだ。「焼け木杭に火がついた」訳ではないが、親父の件で高円寺を歩いた日から、度々タマエといた頃の事を思い出すようになっていた。多分「タマエの事」というよりも、断絶したもうひとりの僕の事が気にかかっていたのだ。
 
 8年前、タマエのマンションから逃げ出した僕は、同時に自分の夢からも逃げ出した。僕の「ミュージシャンになる」という夢は、本当にあれで終わりだったのだろうか?親父のこともあって、近頃そんな事をよく考える。確かに、あのまま音楽活動を続けても、プロのミュージシャンになることはなかったと思う。けれども、プロになる事だけが僕の夢の全てだったのだろうか。もっと他にやるべき事があったのではないだろうか。

 何か、まだ決着がついていない気がするのだ。親父は【宇宙人と友達になる】という子供の頃からの夢を、還暦を迎えるまで強固に保ち続けた。勤め先の銀行を退職した後、ついにはUFO研究家になってしまった。
 僕の方は「ミュージシャンになる」という夢を8年前に凍結したままである。「若気の至りだった」と自分に言い聞かせ、あの2年間の事は忘れようと心掛けてきた。だが、本当にそれでよかったのだろうか?何かを決定的に間違えているような気がしていた。このまま年を重ねていけば、僕はひどく後悔するのではないだろうかと心のどこかで感じていた。

 そんな事を思いつつ、タマエと1時間ほど呑んだ。最近では行かないような、安酒しか置いてない居酒屋だった。僕は妻とふたりでよく呑みに行くが、こんな店は絶対に選ばない。専らバーテンのいる、美味いカクテルを出すバーで呑んでいる。妻は洒落た店の方が好きだし、僕もさびれた居酒屋よりは高級感のある店の方が肌に合った。
 サーバーの中で醗酵しているような酷い味の生ビールを呑み、腹を壊しそうな刺身盛りを食べる・・・この感覚は実に8年ぶりだった。音楽活動をしていた時はこんな店でばかり呑んでいた。

 タマエは8年前と全く変わっていなかった。本当に何も変わっていなかったのでびっくりしてしまった。今でもタマエの家には、あの頃と同じように色々な人が寝泊りしているらしい。「深遠」のドラムだった男は、最近「終焉」という名のプログレッシブ・ロックバンドを結成し活動を続けているそうだ。どうやら死んでいなかったようである。
 僕は随分と変わってしまった。腹は出てきたし、頭も少し禿げてきた気がする。すっかりサラリーマンといった風体になってしまった。
「全然変わってないんだな」と言うと、タマエは「ユタカちゃんは変わったねww」と笑った。

 居酒屋を出た後、タマエとはそのまま別れた。タマエは終始上機嫌で「また呑もう」と言うと、阿佐ヶ谷のアーケード街の奥へと消えていった。
 僕のあたまの中の「ひっかかり」は、取れることなく残ったままだった。

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【小説】「UFOと親父⑭」

               ―――――2009年6月――――――

 親父が退職し「UFOおじさん」となってから、既に1年が経過しようとしていた。一時は全世界を巻き込んだ社会現象となったUFOブームだったが、近頃ではその勢いも沈静化した。相変わらずムーやオカルト系のWEBサイトでは親父はカリスマ扱いだが、女子中学生が親父の周りに群がるような異常事態は起こらなくなった。

 今も親父は、UFO研究家として精力的な活動を続けている。

「やっとミーハーなグルーピー共から解放されて、じっくりと研究に打ち込める」

 とは親父の弁である。その言葉どおり、UFOブームが沈静化してからの親父は、ムーにコラムを寄稿したり、韮澤 潤一郎と共に講演会を開いたり、たま出版から本を出したりして、UFOマニア達の心をがっちりと掴んだ。銀行マンとしてやり手だった親父の手腕は、UFO研究者の世界でも通用したようである。

「おまえはイメージ戦略が下手糞だ。だからミュージシャンとして失敗したのだ。ビジネスにおいて大切なのは、一にも二にもイメージだ。」

 と、ビールを飲んで酔っ払った親父に、わけのわからない説教をされたこともある。返す言葉もなかった。僕の場合は、本当にミュージシャンになりたかったのかどうかさえ怪しいものだ。小さな頃から音楽が好きだった、というわけでもない。あの頃はまだ若かったから、ちょっとした冒険がしたかっただけなのかもしれない。僕の音楽活動は、卒業旅行の延長線上にあるような、そんなものだったのだろう。

 その時、僕は本当にUFOに会ったのかどうか、親父に直接尋ねてみた。親父はどうも歯切れが悪く、結論をはぐらかして「それより早く孫の顔が見たい」とかなんとか言ってその場を誤魔化した。結局謎は解けないまま、時間が過ぎていった。

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【小説】「UFOと親父⑬」

 書斎の本棚は、小難しそうな金融関係の本で占められていた。

 (ほら、やっぱり…)

 母がそう言おうとした僕を制止し、棚の下の方にある引き出しを開けた。
 
 【宇宙人との遭遇】【UFOとの対話】【未確認飛行物体】【UFOと私】【宇宙からのメッセージ】【遊星からの物体Z】【宇宙人の導き】【宇宙戦争】etc…

 そこにはUFOや宇宙人を題材にした、怪しげな書籍が所狭しと並んでいた。驚くことに、少年マガジンで連載されていた【MMR】全13巻までがそこにあった。一番下の棚には「ムー」が陳列されている。1979年の創刊号から最新号まで、1巻も途切れることなく並んでおり、親父が表紙を飾った去年の10月号は誇らしげに平置きにされていた。親父のやつ、余程嬉しかったと見える。他にも「UFO研究ノート」と書かれた、親父が独自に研究していたと思われるノートが数十冊と、膨大な冊数のクリアファイルが保管されていた。クリアファイルには未確認飛行物体に関する新聞記事や週刊誌の記事が切り抜かれてファイリングされていた。初期のものは1950年代のものだった。
 親父は、10代のころからUFOの研究を続けていたのだ。

 どうやら僕は、「親父」という人間を全く理解していなかったようである。僕は親父を「典型的な会社人間」というレンズを通して見ていた。だが、それは誤解だった。親父は会社人間などという単純な言葉では表すことのできない面を持ち合わせていたのである。
 僕は親父という人間を全く知ろうとしていなかったのだろう。厳格で、現実主義者で、夢や理想などというものには縁の無い、頭の固い人間・・・そういう風にしか親父を見ることができなかった。
 
 だが、現実には親父は途方もない夢を抱いていた。しかも、会社に通う毎日の傍らで、その夢を忘れてはいなかったのだ。【宇宙人と友達になる】という叶いっこない子供じみた夢を、今日の今日まで親父は保ち続けた。退職し、「銀行員」という肩書きから解放された今、親父は自らの夢に向かって邁進を始めたのだろう。
 
 僕は恥ずかしくなった。

    「親父には夢が無い」   「親父はつまらない人間だ」    「俺は親父とは違う」

 そう言って家を飛び出した僕は、2年余りでミュージシャンになるという夢を投げ出してあっさりと「単なるサラリーマン」になった。それ以来仕事と生活のことで頭が一杯で、音楽の事なんて考えたこともなかった。いや、「仕事と生活のことで頭が一杯」などというのは単なる言い訳だろう。親父だって僕と同じくらい会社の仕事で忙しかった筈だ。それでも親父は自分の夢を捨てなかった。

 ふと部屋の中を見渡すと、壁の片隅に古い天体望遠鏡があるのを見つけた。とても古い型だが、手入れが行き届いている。恐らく親父はこの天体望遠鏡で、今日までUFOを探し続けてきたのだ。
 そういえば、この天体望遠鏡には見覚えがあるような気がする。この天体望遠鏡を観ていると、確かに親父と共にUFOを探しに出掛けていたのかもしれないという気がしてきた。

 しかし、親父がボケていないとすれば、親父はウソをついているということなのだろうか?親父は【UFO研究家】という肩書きを手に入れるためにわざわざ遭難事件まで演出して、UFO騒動をでっちあげたというのだろうか?
 それは違うような気がする。親父はウソが大嫌いなのだ。それも、僕の思い込みに過ぎないのだろうか?

「母さん、そうすると親父は”UFOに攫われた”ってウソついてるだけなのかな?」
 僕は母に問うてみた。
 母は、しばらく難しそうな顔をして考え込んだあと、答えた。

「お父さんに限ってそれはないわね。ユタカも知ってるでしょ?お父さん、ウソは大嫌いだもの」

 これで全ては振り出しに戻ってしまった。
 だすれば、親父は本当にUFOに遭遇したのだろうか?全くもって馬鹿げた話である。


 続く

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【小説】「UFOと親父⑫」

 僕は山内ひとみから聞いた話を母に伝えた。
 が、母は別段驚いている様子もなく、親父アルツハイマー説を笑い飛ばした。

「笑い事じゃないよ、母さん。」

「だって、あんまりにもおかしな事を言い出すんだもの。あの人はね、昔から忘れっぽいのよ。何故だかわからないけれど、自分では”自分は絶対にミスをしない人間だ”って、思い込んでいるみたいだけどね。
 昔から、何か失敗を犯す度に”俺は頭がおかしくなった”って言い出すのよねえ。オーバーなのよ、あの人は。」

 母はまともに取り合ってくれなかった。僕はなんだか悔しくなり、ムキになって反論した。

「だけどさ、あの親父がUFOだなんだって言い出すのはおかしくないかい?そういうオカルトみたいなもの、親父は大嫌いだったじゃないか。ボケ始めたとでもしか思いようがないじゃないか。」

「どうしてそう思うの?」母は少し真剣な顔になり、僕の目を見て言った。

「え?」

「ユタカは、どうしてお父さんがUFOを嫌いだって思うの?」

「だって、親父はUFOの話なんか一度もしたことないじゃないか。幽霊とか、UMAとか、宇宙人とかいった類の、胡散臭いものは毛嫌いしてるだろ。」

 それを聞いて母は微笑した。この人は、時々少女のような顔をする。

「それは貴方の偏見よ。お父さんはね、昔からUFOとか宇宙人が大好きよ。私とお父さんは大学の天文サークルで知り合ったんだけど、あの頃お父さん、天体観測なんかそっちのけで、UFOばかり探していたもの。」

「え・・・?」
 初耳だった。そんな親父の姿は、僕には全く想像がつかない。

「お父さんの夢は【いつか宇宙人と友達になること】だったからねえ。貴方が産まれてからはUFO探しもあまりやらなくなったけれど、若い頃は本気でUFO研究家の道を歩もうとしていたわ。私の両親とお父さんのご両親が一緒になって、必死で止めたから諦めて銀行マンになったけれど・・・まだ諦めていなかったのね、お父さん。」

 僕には母の言葉がとても信じられなかった。
【宇宙人と友達になる】だって?僕の夢なんかより遥かにバカげてる。到底叶いっこない、途方も無い夢じゃないか。あの現実主義者の親父がそんな夢を抱くなんてありえない。

「でも、ユタカは本当は知っているはずよ。随分小さな頃のことだから忘れているかもしれないけれど、貴方が小さな頃、よくお父さんと二人でUFOを探しに出掛けていたもの。お父さん、本当に楽しみにしていたから覚えてるわ。貴方が野球チームに入って、お父さんも銀行の仕事が忙しくなってしまったから、行かなくなってしまったけれどね。」

 そんなことがあっただろうか?確かに僕は小学3年の頃野球チームに入った。【日野闘魂ファイターズ】という名前のチームで、下水処理場に勤めていた近所のおじさんが監督をしていた。監督は下水処理の仕事には殆ど興味がないらしく、全情熱を【日野闘魂ファイターズ】に注いでいた。僕はだんだん監督がウザくなってきてついていけなくなり、5年生の時にチームを抜けた。それははっきりと記憶している。
 
 それより前に、僕は親父とUFOを探しに行っていたのだろうか?思い出せない。言われてみればあったような気もするし、なかったような気もする。僕は頭を捻って記憶をほじくり出そうとしてみた。けれどもやはり、思い出せない。僕はその場でうんうんと唸リ始めた。

 そんな僕の姿を見かねたのか、母は僕を父の書斎へと連れて行った。

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【小説】「UFOと親父⑪」

 親父の会社の同僚だという女性―彼女は「山内ひとみ」と名乗った―が、喫茶【あたたか】で語った内容に、僕は激しく狼狽した。
 彼女の言葉によって、これまで抱いてきた様々な疑問の答えが出た。僕は会計を済ませ、彼女に軽く会釈をすると、ふらふらとした足取りで喫茶【あたたか】を後にした。先ほどまで小ぶりだった雨が本格的に降り始めていたが、僕は傘をさす気にもなれず、濡れながら駅の方へ歩いていった。

「アルツハイマー…ですか・・・?」 

 僕は、手にしたコーヒーカップを震わせて聞き返した。山内ひとみは真剣な眼差しで僕の目を見ている。

「はい、そう思います。方丈さん、去年あたりからちょっとおかしかったんです。以前は滅多にミスをしない方だったんですが、この頃物忘れや間違いが多くなってきて…本人も悩んでいたみたいです。」
 
 【あたたか】のコーヒーは泥水のような味がした。相変わらず、この喫茶店のメニューはどれも不味い。とてもではないが480円の価値はないなと思った。

「実は、方丈さんには再就職先が用意されていたんです。方丈さんは皆からとても慕われていましたし、上層部もその実力を認めていましたから。新しく開設された一般消費者向け金融商品事業企画部の、スーパーバイザーとして退職後も力を貸して欲しいと上層部は打診していました。それを方丈さんは”自分はもう限界だから”って断ってしまって…私が思うに方丈さん、自分でも気付かれていたのではないかなと…。」

 なんという事だ。親父はまだ60歳である。痴呆を発症するには早すぎる年齢ではないか…だが、若年性アルツハイマーという可能性は十分にありえた。親父がアルツハイマーだとすると、一連の馬鹿げたUFO騒動にも説明がつくのだ。
 親父はウソが大嫌いだ。「宇宙人に攫われた」などという子供じみたウソをつくような男ではないのである。にも関わらず、親父は一貫してUFOに遭遇したと主張し続けている。親父はウソをついている訳ではないのだ。親父の頭の中には、確かにUFOと遭遇したという事実が存在しているのである。
 
 親父は自分がUFOに遭遇したのだと心から信じている。だから親父の主張には寸分のブレもなく、一貫していた。親父の言葉には、人を信じ込ませてしまう強烈な説得力がある。その説得力は、潔癖なまでにウソが嫌いで、誠実さを人間にとって一番大切なものだと信じて疑わない親父の人格から発せられているものだ。その人格と、親父を襲ったアルツハイマーという病―この2つの要因が重なった為に、多くの人が親父の主張を信じてしまった。このことが、今回のUFO騒動を巻き起こしてしまったのである。

 ウソをついていたのは親父ではなかった。たった今病に冒されつつある、親父の脳味噌だったのだ。

 自宅へ向かう電車の中で、吊り革に摑まりながらそんなことを考えた。
 この事は母にも伝えなければならない。もしかすると、もう気付いているかもしれない。親父の一番身近にいるのは母なのである。僕は、母に心当たりを確かめてみることにした。
 
 
 ふと、吊り広告に目をやった。
 相変わらず週刊誌は「UFOおじさん」の話題で持ちきりだった。

 
 続く

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【小説】「UFOと親父⑩」

 高円寺の街を抜けた僕は、地下鉄新高円寺駅の改札をくぐって、○×駅へと向かった。

 ○×駅の6番出口を出てすぐ、僕は約束の喫茶店【あたたか】を見つけた。
 赤いレンガに蔦の絡まった壁。路上に出ている電飾の看板はホコリを被っていて、切れかけた蛍光灯がチカチカしていた。白い木枠の窓の内側にはには黄ばんだレースのカーテンがかかっていて、その奥に中途半端なアンティーク家具が所狭しと置かれている。窓辺にひっそりと佇んでいるビスクドールは虚ろな目をしていて、街を行き交う人々をぼんやりと眺めているようだ。

 僕は以前、この喫茶店に来たことがある。

 その事を唐突に思い出した。あの時僕はまだ小学生で、あのビスクドールが怖くて仕方がなかったんだった。
 確か、同じような雨の日曜日だった筈だ。その日親父は「どうしても処理しなくてはいけない案件が残っている」と行って銀行に出掛けたのだが、家に書類を置き忘れてしまったのだ。僕は母に頼まれて、渋々銀行へ書類を届けに行った。
 親父は珍しくすごく喜んで「これはお礼だ」とこの喫茶店に僕を連れていった。「なんでも好きなものを頼んでいい」と親父が言うから、僕はチョコレートパフェとクリームソーダを頼んだ。しばらくして店主が運んできたのは酷く貧相なチョコレートパフェで、安物のアイスクリームと粉っぽいウエハースの味しかしなかった。クリームソーダもなにやらクスリっぽい味がした。
 決して旨くはなかったが、滅多に甘いものを食べない親父と一緒にパフェを食べられたのが子供心に嬉しくて、味の記憶が舌に焼きついている。だから、今でもあの味は克明に思い出せる。

 この店はあの頃と何も変わっていない。あれから20年以上の年月が流れているというのに、この喫茶店だけは時間が止まったように何も変わらず建っていた。
 郷愁に溺れそうになりながら、僕は喫茶店の中に入っていった。
 客はひとりしかいなかった。背の低い、20代くらいに見える女性が一番奥のテーブルに座っていて、僕を見ると嬉しそうな顔で手招きした。
 僕は女性が座っているテーブルに座った。

「方丈ユタカさんですね?」
 女性が話しかけてきた。美人と言えば美人だろう。そこそこモテるんじゃなかろうか。
「はい、そうです。」
「すぐわかりましたよw お父さんそっくりなんですね。」
「そうですかね・・・?」
「ええw目元なんかホントに瓜二つw」

 それを聞いて僕は少しだけ不愉快な気持ちになった。周囲の人間によく「親父にそっくりだ」と言われるのだが、自分ではそうは思わない。親父はバーコード禿げで分厚い眼鏡を掛けており、見るからにサラリーマンといった風体である。僕は母親に似て髪の毛はふさふさだし、それなりにファッションにも気を使っているつもりだ。「目元がそっくり」とよく言われるが、それも自分では実感が沸かない。とにかく「親父に似ている」と言われるのは心外である。


続く

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【小説】「UFOと親父⑨」

 この街を歩いていると、あの頃のことが脳裏に蘇ってきた。

 極めて自堕落な生活だった。思い出してみて、少しぞっとした。僕とタマエとタマエの友人と、バンドのメンバーは、毎日夜通し酒盛りをして、そのまま寝てしまって午後3時過ぎに起きて、起きるとまた冷蔵庫からビールを取り出して飲んでいた。要するに毎日酒ばかり呑んで生活していた。曜日感覚は完全に失われていた。まさに毎日が日曜日だった。
 あの2年間、僕は殆ど働いた記憶がない。タマエの家にはいつも人が5、6人居座っていて、皆で共同生活しているような感じだった。家の中に千円札や500円玉が沢山入った紙袋があって、居候は皆、金が必要になった時はそこから持ち出して生活していた。金がなくなる頃には誰かが土方やらティッシュ配りやらの日雇いバイトをして、紙袋の中に金を入れていった。そんな感じであの奇妙な生活空間は成り立っていた。

 僕は名目上「タマエの恋人」ということになっていたけれど、デートだとか、キスだとか、恋人らしい事を殆どしたことがなかったような気がする。肉体関係もあったのかなかったのか思い出せない。家の中にはいつも他の居候がいて、その気になるような雰囲気ではなかった。

 タマエの家でヒモ生活をしながら僕は、毎日毎日音楽のことばかり考えていた。

「どうしたら音楽で世界を変えられるか?」

 という自問自答を続け、自分をひたすら追い込んだ。僕は部屋の片隅で毎日指先が麻痺するまでギターを弾いていた。いつも焦っていた。「好きなことだけに集中する生活」という、とても贅沢なモラトリアムをタマエから貰っているという負い目があって、それが僕にはプレッシャーだった。僕は毎日のように「どうして皆俺の音楽を理解しないんだ」「この国の人間は糞だ」「皆死ねばいいんだ」とかいう愚痴ばかりをこぼしていたけれど、タマエはそれをいつも微笑みを浮かべて「うん、うん、そうだね。」と相槌を打ちながら聞いていてくれた。タマエは僕の全てを受け入れてくれた。タマエはいつも聖母のように優しかった。

 けれどもタマエは、僕の音楽を褒めてくれたことだけは一度もない。

 多分タマエは僕が挫折することを知っていたんだと思う。いつか僕が逃げ出すことを、彼女はわかっていたのだ。あの家にいた連中の話によれば、若い頃のタマエは有名なバンギャルで、色んなバンドの追っかけをやっていたらしい。そのバンドの中にはバカ売れした奴等もいたし、全く売れなかった奴等もいた。覚醒剤で捕まったり、淫行で訴えられた奴もいたそうだ。タマエは産まれては消えて行く無数のバンドマンたちの生き字引のような存在だったのだ。タマエは音楽についてその辺のバンドマンよりも深く理解していた。だからきっと、僕に音楽の才能がないことを、タマエは誰よりもわかっていたのだ。

 高円寺の街を歩きながらそんな事を考えていた。ぽつぽつと居酒屋のネオンに明かりが灯り始めるころ、霧雨が振り出した。僕は雨に降られながら駅の方へと歩いていった。郷愁と罪悪感が織り交じった妙な感情が胸に沸き起こって、僕はなんだか泣きそうになった。年をとると涙もろくなっていけない。近頃「隣のトトロ」を金曜ロードショーで見るだけでも涙腺が緩んでしまうのだ。


続く

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【小説】「UFOと親父⑧」

 目的地の○×駅までは、荻窪で地下鉄に乗り換えることになる。日野駅から荻窪までの区間、中央線各駅東京行き各駅停車の車両に揺られながら、僕はこれまでの事件に思いを巡らせていた。

 一体何だというのだろう。盆暮れ正月、ついでにゴールデンウィークとハロウィンが一緒にやってきたような、このあり得ない状況は何なんだ?どこをどう間違ったらこのような珍事件に発展していくのか?まるで滅茶苦茶である。いまどきマンガでも、こんな展開はありえない。
 
 僕の親父は真面目だけが取り得の、四角四面の銀行員だった。親父は高度成長期を生きた典型的な会社人間―それだけがアイデンティティの人間だったはずだ。「UFO」とか「TVCM出演」とか「CDデビュー」とか、まったくもって親父に似つかわしくない。そんな珍事件が次々と親父の身に降りかかっている。
 一体どうしてしまったんだ?当たり前に過ぎていくだけだった、あの平凡な日常はどこへ行ってしまったのだ?僕が32年の生活の中で築き上げた世界や人生に対するパラダイムは、ここ数ヶ月の間にガラガラと音を立てて崩れ去った。まったく予想のつかない事件が毎日、いや毎時間というスパンで起こり、僕の思考スピードを遥かに上回るスピードで事態が進行していく。今や僕は、趣味の悪い夢の中に閉じ込められているような気がしている。目の前に存在している世界に、全く現実感を感じることができない――

 などと物思いに耽っていたら、荻窪駅を通り過ぎてしまった。「しまった」と思ったが、約束の時間までは十分に余裕がある。僕は高円寺駅で電車を降り、新高円寺駅まで歩くことにした。思えば、タマエの家から逃げ出したあの日以来、この街に近付くことさえなくなっていた。少々センチメンタルな感傷に浸りながら、僕は高円寺の決して綺麗じゃない街並みの中を歩いた。

 高円寺というのは東京の中でも特殊な場所である。この街には新宿や渋谷、六本木などに見られる「東京らしさ」が全く無い。一般的な東京のイメージとはかけ離れた街なのである。このような空間が、23区内の、中央線のど真ん中に存在していることは宇宙の神秘としかいいようがない。
 高円寺は貧乏人の街である。この街は貧乏人の文化によって支配されている。この街の住民に呑まれている酒はビールと焼酎と日本酒だけだ。ビンテージワインやロングカクテルといった、洗練されたアルコールはその存在が許されていない。女性に好まれるような、こ洒落たバーなどは皆無である。
 高円寺に存在するのは居酒屋である。居酒屋、居酒屋、居酒屋・・・どこまでいっても居酒屋である。地平線の先まで居酒屋が続いているかのような錯覚を覚えるくらい、この街には居酒屋が乱立している。言うなれば、高円寺という街自体が巨大な居酒屋なのかもしれない。その証拠に、この街の住人は全員が酔っ払いだ。

 数年前、僕もその「酔っ払い」の一人だった。狂気と陶酔と乱痴き騒ぎの毎日の中、ふいに襲われる将来への不安と孤独を味わいながら、僕は音楽活動を続けていた。

 続く

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【小説】「UFOと親父⑦」

 万が一、あの親父がウソをついているのだとしても、もっと相応しいウソがあるだろう。「UFO」などという、胡散臭くて東スポちっくなものは、親父にまったく似合わない。僕の知る限り、親父はそのようないかがしいものに興味を示す男ではなかった。TVをつければNHKしか観ない。音楽はクラシックしか聴かない。およそ「娯楽」というものに縁がない、糞真面目で四角四面の会社人間―それが僕の親父なのである。
  あの頑固一徹な親父が「UFOに攫われた」と一貫して主張しているのだ。もしかしたら、本当に宇宙人と遭遇したのかもしれない。あり得ない話だが、考えれば考えるほど、そう思えてきた。


 そんなある日の日曜日、僕の携帯に見知らぬ番号の着信履歴が残されていた。留守番電話センターにメッセージが保管されていたため、僕はそれを再生した。

 「方丈ユタカさんですね。貴方のお父さんについて話したいことがあります。本日18:30に、○×駅前にある【あたたか】という喫茶店でお待ちしております―」

 メッセージの声が女のものだった。

 僕は「まさか」と思った。同時に「ありえない話ではない」とも考えた。今や親父は日本、いや世界でも有数の有名人となってしまった。ちょっと買物にと街をぶらついただけで大騒ぎとなり、女子中学生までもが我先にと親父にサインをねだるような世の中である。
 あの親父に限ってはそういうことはないと思っていたものの、やはり親父も男である。この機に乗じて不倫の華の一輪でも咲かせてやろうという下心が起こる可能性は十分にありえる。

 ともかく、我が家が修羅場と化すことを避けるためにも、僕はこの声の主に会ってみることにした。僕は妻にメッセージを聞かせて状況を説明し、何年も着ていなかったよそ行きのシャツとジーンズを着ると、家を出た。

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【小説】「UFOと親父⑥」

 話が脇道へ逸れてしまった。
 親父の話に戻そう。ともかく親父は、当初から僕の音楽活動に反対していた。

「グループサウンズなんてモンはヤクザ者のすることだ。まっとうな人間のするもんじゃない。」

 僕の必死の説得も空しく、親父は話を聞こうともしなかった。その親父が、こともあろうにCDデビューするとはどういう了見だろうか。しかも日本のシングルCDセールス記録を塗り替えるという快挙まで成し遂げて、だ。話が違うではないか。「音楽なんてヤクザのすること」じゃなかったのか?

 などという僕のやっかみも空しく、親父は次々と僕が欲しくても手に入れることができなかったものを手に入れていった。親父はMステに出演し、うたばんに出演し、トップランナーにも出演した。年末には紅白にも出演が決定しているらしい。親父の人気は留まることを知らず、あらゆるメディアから親父へのオファーが殺到した。先日など密かに憧れていたW・ライダーと対談していた。近頃ではUFOブームは全世界に広まっており、親父の人気もワールドワイドな規模になっていたのである。親父は、来年公開予定のスピルバーグ監督作品「UFO」にもチョイ役で出演しているらしい。

 それにしても、親父は本当に宇宙人と遭遇したのだろうか?到底信じられる話ではないが、ウソをついているとは思えなかった。
 親父は「ウソが大嫌い」なのである。僕は親父がウソをついたり、約束を破ったりしたところを一度も見たことがない。ウソに関して親父は家族にも非常に厳しかった。僕が仮病を使って中学校をズル休みした時など、真冬だというのに罰として上半身裸で2時間玄関前に立たされたものである。お陰で僕は本当に風邪を引いてしまい、40度の熱を出して1週間も学校を休む羽目になってしまったのだ。それでも親父は

「これで仮病ではなくなったな。」

 となにやら満足そうにしていた。親父はそういう男である。

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【小説】「UFOと親父⑤」

 今から8年前の話である。

 家を飛び出した僕は、大学に行かなくなった。それから2年間「タマエ」という名の女のマンションでヒモとして生活しつつ、バンドを組んでライブを演ったりレコード会社にデモテープを送ったりした。その生活の中で、僕は自分に音楽の才能が皆無であったことを思い知らされた。
 バンドはギターボーカルが僕、ベースは大学の軽音サークルの同期、ドラムはタマエの知人という構成だった。当時僕は軟弱なJ-POPに嫌気がさしていて、日本の音楽シーンに風穴を開けるようなバンドで颯爽とデビューし、音楽で世界を変えてやると息巻いていた。
 
 バンド名は「深遠」という名前だった。「深遠」の曲はいわゆるプログレッシブ・ロックという奴で、端的に言うと和製ピンク・フロイドみたいな事をやっていた。Aメロ・Bメロ・サビの5分構成で終わる日本の歌謡ロックはクソだと思っていたから、奇妙奇天烈なキワモノの曲ばかりを作り、演奏した。
 
 客受けは非常に悪かった。毎月タマエの知人が経営する箱でライブをしていたが、最大動員数が6人という惨憺たる有様だった。その客の内訳も、大学の軽音サークルの友達と、タマエと、タマエの友人といった感じで、要するに内輪の域をまったく出なかった。「深遠」のメンバーはライブが終わるたびに近所のファミレスで反省会を行った。「練習量が足りない」とか「ベースの音がでかすぎる」とか「ライブパフォーマンスが雑」とか色々な反省点が見つかり、何かと工夫して改善を試みたが動員数は一向に増えなかった。
 
 最大の問題点は、多分ボーカルの僕がとてつもなく音痴だったということだ。それは僕も含めてメンバー全員が薄々感じていたことだったが、とうとう最後まで誰も口にできなった。「プログレッシブ・ロックに歌唱力は要らない。プログレッシブ・ロックに必要なのは芸術性と表現力だ」というのが当時の僕の持論だった。
 今考えてみるとそれは、自分が音痴でありながらプロのミュージシャンを目指していることを正当化するためのスケープゴートに過ぎなかった。あの頃の僕はあまりに青すぎた。

  「音楽で世界を変えるんだ」

 あの頃毎日のように、この言葉を口にしていた。タマエと飯を食べている時、大学の友人と呑んでいる時、風呂の中で、寝る前に、僕はこの言葉を呪文のように唱えていた。
 本当は、とても怖かったのだ。人生がとても恐ろしかった。「こんなことをやっていたらいつかホームレスになってしまうんじゃないか」って、心の中ではいつも思っていた。その恐怖を打ち消すために、僕は「音楽で世界を変える」という呪文を唱え続けた。でも、心の底ではわかってたんだ。そんなことは僕には無理だってことを、頭のどこかでは理解していた。理解していながらそれを認めたくなくて、あの頃の僕はいつももがいていた。

 「深遠」は結成して2年で解散した。ベースが「深遠を抜ける」と言い出したからだ。就職が決まってこれ以上活動を続けられそうにないとベースは言った。僕は彼を裏切り者扱いして罵倒し、ぶん殴ってあわや訴訟沙汰という所までいった。僕はベースの代わりを探して「深遠」の活動をなんとか続行しようとした。だけどそうこうしているうちにドラムまでいなくなってしまった。タマエの話によれば、ドラムはパチスロ中毒で、消費者金融に数百万円の借金を抱えていて、ヤクザに追われていたらしい。
 ドラムはその後行方不明のまま、帰ってこなかった。

 「深遠」解散後、全てに絶望した僕はタマエのマンションから逃げ出した。僕は自分の中から「深遠」結成後の2年間を消し去ることにした。ベースとドラムとタマエとタマエの友人の携帯アドレスを消去し、日野の実家に戻った。
 母は「あら、おかえり」と言った。親父は「やっと帰ってきたか、早く就職しろ」と言った。2年間も音信不通だったというのに淡々としたものだった。考えてみれば、タマエのマンションが高円寺にあって僕の実家は日野にある。電車で1時間もかからない距離に僕はいたわけで、親父も母も探そうと思えばいつでも探せた。あとから聞いたら、妹が高円寺にちょくちょく様子を見に来ていたらしい。

 実家に帰った僕は、大学に復学した。大学に僕の籍はかろうじて残っていて、ゼミの教授に文句を言われながら卒業論文を書き上げて、卒業した。そして小さなIT企業に就職した。それから8年があっという間に過ぎた。3年前に僕は妻と結婚して、今では完全な仕事人間、骨の髄までサラリーマンである。

 けれども今でも寝る前にふと、音楽活動をしていた2年間の事を思い出すことがある。あのまま音楽活動を続けていたら、32歳の僕は今、何をしているのだろう?相変わらずタマエのマンションでヒモをしているのだろうか。タマエは優しい女だった。タマエは僕が何をしていても笑いながら見ているだけだった。


 あれからタマエには一度も逢っていない。

続く

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【小説】「UFOと親父④」

 スポーツ新聞、写真週刊誌、バラエティ番組、インターネットのニュースサイト、ブログ…あらゆるメディアに親父の名前が挙がった。近頃親父の顔を見ない日は無いと言って良い。ついには「ムー」が親父の特集を組み、韮澤 潤一郎との1万字に及ぶ対談が掲載された。
 それでも初めのうちは、親父の存在は一部のマニアとヒマな主婦だけが喜んでいるような、狭い世界で知られていたに過ぎなかった。少なくともまともな思考回路を持っている大人は、親父のUFO騒動に冷笑的だった。ところが内閣官房長官が記者会見で親父の名前を出したことがきっかけで一大論争が巻き起こり、TVタックルで内閣官房長官と民主党の議員と韮澤 潤一郎と大槻教授が激論を交わす羽目になった。この番組には親父も出席していた。親父は放映中殆ど口を聞かず、黙ったままだった。親父は番組の最後に阿川 佐和子に意見を求められて、はじめて重い口を開いた。
 その一言が

「私はウソは大嫌いだ。」

 だった。
 この一言には何千、何万語を並び立てた、それまでの論客達の弁論よりも説得力があったようだ。親父は今までUFO騒動に冷笑的だった中年層の心を鷲づかみしたのである。この回のTVタックルの瞬間最高視聴率は68%を超え、21世紀最高の視聴率記録を打ち立てた。
 この番組以後、本格的な「UFOブーム」が日本全体に到来することになった。親父は「UFOおじさん」の名前で世間に広く知られるようになり、老若男女、全ての大衆の人気をかっさらった。親父がカップ焼きそば「UFO」のCMに出演すると、カップ焼きそばUFOの売上は前年の18倍となった。「UFOおじさん」を主人公にしたアニメが放映され、「UFOおじさん」の携帯ストラップが東京駅のキヨスクで販売されると日本中から旅行客が殺到した。ある筋の調査によると、今や「UFOおじさん」の経済効果は2600億円を超えているらしい。
 僕の実家はUFOマニアの聖地となり、毎日のように参拝客が訪れるようになった。この結果実家の周りにはテキ屋の露店が立ち並ぶようになり、その結果不良やゴロツキがやってきて、実家の近所ででさまざまなトラブルが起こったが、親父の人気は留まることを知らず、その全てが暗黙のうちに許された。

 ある時僕は、勤務先の会社の部長に親父のサインをねだられた。

「大口の顧客が君のお父さんの大ファンなんだ。お父さんのサインを持ってきてくれ。これは社長命令だぞ。」

 と言われ、しょうがないので渋々親父に頼んだ。親父はこういったミーハーなことが大嫌いな人間だったが、事情を話すと

「仕事で必要ならいくらでも書いてやる。」

 と以外にもあっさりと承諾してくれ、色紙にサインと一緒に【宇宙と一体になる。】というよくわからないメッセージまでつけてくれた。それを会社に持っていくと部長は大喜びした。数日後に大口の契約が決まり、僕は会社にその功績を認められて月給2ヶ月分の賞与を貰った。

 最早何がなんだかわからなかった。毎日夢の中にいるようで、現実感の薄い日々が過ぎていった。
 
 その年の9月、親父はCDデビューを果たした。「UFOおじさん」名義でリリースしたシングル【私を宇宙(そら)へ連れてって】は768万枚という史上空前の大ヒットを飛ばし、それまで【およげたいやき君】が持っていた記録を塗り替えた。今では女子高生までが【私を宇宙へ連れてって】を着うたにしているらしい。

 これまで何が起こっても無関心を装ってきた僕だったが、この事だけは看過できなかった。僕は親父と音楽活動のことを巡って大喧嘩したことがあるのだ。
 大学卒業を間近に迎えたある日、僕は母と親父に

「ミュージシャンになりたいから、当分フリーターをやろうと思ってる。」

 と告げた。この言葉を聞いた親父は激怒し、僕は勘当同然の状態で家を飛び出したのだ。


続く

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【小説】「UFOと親父③」

 この葬儀にマスコミは群がり、面白がって興味本位の報道を繰り返した。

「会社人間が退職を期に自殺!! 生き甲斐を失った男の哀れな末路!!!」

 などと無責任なテロップが昼のワイドショーでひっきりなしに流れるようになり、ただでさえ精神的に参っていた母は、ついに寝込んでしまった。
 まったくマスコミという奴等は人間の屑である。ハイエナの如くネタに群がり、視聴率を稼ぐためならば人の尊厳を踏みにじることなど屁とも思っていない。ブラウン管の中、レポーターやコメンテーターが行方不明となっている親父に同情するそぶりで「生きていて欲しい」だの「奥さんが可哀想だ」だのと、「常識的な意見」と言うやつをペラペラと述べている。だが、奴等の魂胆は明らかだ。TVに噛り付いているヒマな視聴者共を喜ばせ、少しでも視聴率を稼ぎたいだけなのだ。親父や僕たち家族に対する哀れみの気持ちなど、本当はこれっぽちも持ち合わせていない。それが証拠に、そっとしておいてくれればいいものを「取材」と称して毎日のように家に押しかけくる。
 近所の住民も悩みの種だった。母によれば、近所のヒマを持て余している主婦達が「大丈夫?」とか「何か力になれることがあれば言ってください」とか言って、何かと理由をつけては家にあがろうとするらしい。まったくもって大きなお世話、「やさしさ」の押し売りである。どうやらTVカメラが自分達が住んでいる街に来ていることが面白くて仕方ないらしい。
 ある日曜の昼間、何気なくテレビをつけたら、とある中年の女がTVレポーターに意見を求められて「あんなにいい人がこんな目に遭うなんて…」と涙を流している姿を観た。僕はその女の顔を覚えていた。いつも内のゴミの分別がいい加減だと言って文句ばかりつけてくる町内会の顔役だ。親父は彼女と仲が悪かった。親父が唯一していた家事がゴミ出しだったのだが、ある時親父は収集日を間違えてプラスチック包装ゴミ収集の日に可燃ゴミを出してしまったのだ。これが原因で親父と彼女は激しい口論となり、それ以来口も聞いていないはずだった。
 これだから人間は信用できない。

 僕は母が心配になり、当分の間妻と共に実家で過ごすことにした。
 そのうち世間もこの話題に飽きることだろう。1週間もすれば新たな猟奇殺人事件でも起きて、暇な奴等の興味はそっちに移るはずだ。それまでの辛抱である。
 今はだまって台風が通り過ぎるのを待つしかない。

 
 ところが、僕の予想に反して、事態は思わぬ方向に進み、マスコミの報道は加熱の一途を辿ることになった。
 何故かといえば、親父が生きていたからである。
 葬式から1ヶ月が経ったある日、親父はひょっこりと家に帰ってきた。僕も母も妹も「今までどこで何してたんだ!?」と親父を詰問した。新聞記者やTVレポーターたちも、争ってこの疑問を親父にぶつけた。
 
 そして、ついに記者会見が開かれることになった。
 その記者会見の場で、親父はこう言ったのである。


「4ヶ月前、私はバードウォッチングに出掛けました。そこでUFOに攫われたのです。今日まで私は、宇宙人ととも生活していました。どうも心配をおかけしました。世間をお騒がせしたことを、心よりお詫び申し上げます」

 この衝撃の発言の後、親父は「時の人」となった。




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【小説】「UFOと親父②」

 その、会社人間の親父が今月退職した。
 勤め先の銀行の同僚達は、親父の退職を心から残念がり、盛大な送別会が開かれたという。支店長が謝辞を述べ、本社からCEOの「お疲れ様」のメッセージが届いた。OL達は涙を流して花を贈り、寄せ書きにはびっしりと細かい字で「お疲れ様でした!」「今までありがとうございました!」「これからも、時々遊びに来てやってください!」などという言葉が書かれていた。
 完全なる円満退職だった。親父は会社に在籍している全ての人間に祝福され、晴れて無職の身となった。

 僕は、親父の今後が心配でならなかった。仕事以外の分野では、全くのダメ人間の親父である。「会社」という居場所を失った親父は、これからどうやって生きていくつもりなのだろう?まったく想像がつかなかった。親父が退職した後、僕は事あるごとに実家に電話をかけ、親父がどうしているかを母に尋ねるようになった。
 何かイヤな予感がしていたのである。

 
 数ヵ月後、その「予感」は最悪の形で的中することとなった。

「バードウォッチングに出掛ける。」

 ある日親父は、唐突にそんな事を言い出した。無論親父に、鳥を眺めるような趣味はない。家族は皆狐につままれたような奇妙な気分で、親父を送り出した。
 そして親父は、実家のある日野市から中央線に乗って高尾山に向かい、そのまま消息を絶った。2、3日が経過したが親父からの連絡はない。心配のあまり母はノイローゼ気味になり、警察に遭難届けを提出した。ただちに捜索隊が結成され、のべ200人にのぼる警察官と地元住民によって、3ヶ月に渡る親父捜索が行われた。
 だが、親父は見つからなかった。失踪から3ヶ月が経過した今となっては、親父の生存はほぼ絶望的だったが、遺体さえ発見されることなく捜索は打ち切りとなった。


 結局、遺体抜きで親父の葬式を行うことになった。精神錯乱状態の母に喪主を任せるわけにはいかず、叔父に手伝ってもらって、僕が葬儀の進行を執り行うこととなった。
 葬式には親父の会社の人間が多数参加してくれた。皆一様に親父の死を悲しんでおり、男女問わず、親父の遺影の前で手を合わせながら泣き崩れる有様であった。僕は、どれだけ親父が会社で慕われていたのかを、この葬儀をもって再認識させられることになった。



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【小説】「UFOと親父①」

 
 親父は銀行マンだった。月火水木金と規則正しく午前6時30分に起床。日経新聞を読みながら朝食を摂り、午前7時30分に家を出る。土日は午前7時に起床。日経新聞を読みながら朝食を摂り、午前8時に飼い犬ミルクを散歩に連れて行く。それから昼食まではテレビを見て、昼食を取ったら昼寝する。それからゴルフの素振りを一時間。それが終わったらテレビを見て夕食を摂り、その後TVを見て寝る。盆と正月は島根県にある母の実家に帰省。年に3回、家族旅行に出掛ける―
 この決まりきった毎日は、僕が生まれてから大人になり、家を出て一人暮らしを始めるまでずっと続けられた。

 親父は筋金入りの会社人間だった。会社から帰ってくるのはいつも0時を回っており、家に着くと風呂に入って寝るだけだった。家事などは一切手伝おうとしない前時代的な男だったのである。
 僕が小学3年生の頃、我が家が雨漏りに見舞われたことがある。居間の天井から雨水がなだれ込み、大惨事となった。母は大慌てで畳の上にバケツやら風呂桶などを置き、必死で被害を最小限に食い止めようとした。この日は日曜日で、親父は自宅にいた。僕も妹も母親も、親父以外の家族全員が雨漏りと奮闘していた。こんな状況にも関わらず親父は「我関せず」といった風体で、悠々とゴルフの生中継を見ていたのである。
 母親はどうしようもなくなって、叔父(親父の弟)に助けを求めた。叔父はとても面倒見の良い男で、すぐに我が家にはせ参じ、屋根を修繕して夕方には帰っていた。当然のことながら、この日我が家の食卓は、親父の弾劾裁判の会場となった。母、僕、妹は鬼検事となり、全員で家の事をかえりみぬ親父の無関心さを責めたてた。が、当の被告人である親父には全く反省の色が見られず、最後には

「私の仕事は会社にある。家族の中で私の役割は、生活費を稼いでくることだ。それ以外のことは私は知らない。お前たちでなんとかしなさい。」

 と開き直る始末であった。これには母も僕も妹もあきれてしまい、それ以上何も言えなかった。


 人づてに聞くところによると、会社での親父はとてつもない人格者で通っているらしかった。たまに我が家へ訪ねてくる会社の同僚は、こぞって親父の仕事ぶりを絶賛した。会社は親父の功績を褒め称え、何枚もの表彰状を送られた。今でも我が家の居間には、数え切れないほどの表彰状が飾られている。僕は、あのダメ親父に優秀な面があるなどということがとても信じられなかった。自宅でぐうたらとTV鑑賞に浸っている親父の姿しか見たことが無かったからだ。
 だが、大学を卒業し、会社で働くようになってから、どうやらそれが本当の事だったということがわかってきた。血筋は争えないという事だろう。僕もまた筋金入りのワーカーホリックとなり【会社ではスーパーマン、家に帰ってくると全くの無能な男】と化したのである。今日では、妻に毎度の如く愚痴を言われる始末である。「たまには遊びに連れて行け」だの「新婚時代が懐かしい」だのというやつだ。

 この年になって始めて僕は、当時の親父の心情を理解した。



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