「天元突破グレンラガン」に見る男の夢

グレンラガンを、ついに最終話まで見ました。以下感想をつらつらと書き連ねます。

「天元突破グレンラガン」は、突っ込み所満載のアニメである。
 まず初めに、声を大にして言いたいのは「SF設定がめちゃくちゃ過ぎる」という事だ。作者は量子論も宇宙論も全く理解していない。にも関わらず量子だの11次元だのというSF要素を無理矢理取り入れており、この部分は実に興醒めである。これがパロディ的なギャグとして機能していればいいのだが、主にシリアスな、終盤の展開の部分に使用されているのでどうしても鼻につく。この点はエウレカセブン、電脳コイルも同上である。昨今のアニメ作家は本を読まないのだろうか?あれだけの高い作画クオリティを維持しようと思ったら、どうしたってエネルギーの配分が絵に偏ってしまうのはどうしょうもないんだろうが、少し寂しい気もする。

 背景の世界観にSF要素がある作品はガイナックスのお家芸である。この事は、本を正せばガイナクッス創立者の岡田斗司夫が非常に高い知性を備えたSFマニアである事に起因している。岡田の影響で、初期ガイナアニメは豊富な知識に裏付けられており、コメディ路線をとりつつも骨太なSFアニメとして成立していた。が、岡田が抜け、庵野が抜けた後のガイナックスは、アニメーションとしての動きの面白さとハイセンスな作画だけが売り物になってきている気がする。「天元突破グレンラガン」は、その最も顕著な例であろう。確かに作画は最高にセンスがいい。動きもグっとくる。しかしはっきり言って「頭が悪い」のだ。ここが圧倒的にカッコ悪いと俺は思っている。
 この「カッコ悪さ」は筋肉マンのカッコ悪さと同種のものである。筋肉マンでは、すごくシリアスな場面で頭脳明晰とされているテリーマンが「そうか!物体は重いものの方が早く落下する!」と大真面目な顔で言うシーンがある。小中学生はともかく、大人が読むとそのシーンはギャグとしてしか読めない。これに似た興醒めな場面が、グレンラガンには無数に存在するのである。


 が…しかし…


 が、しかしだ!!!!!!

「じゃあオマエはグレンラガンを見て、心を揺さぶられなかったのか?」

 と問われれば、「思いっきり感動したわ!!」と言わざるを得ない!!

「じゃあオマエはグレンラガンを見て、涙腺が緩まなかったのか?」

 と問われれば、「思いっきり号泣したわ!!!」と言わざるを得ないっ!!!!

 即ち「天元突破グレンラガン」は理屈を超えているのだ。このアニメは理屈抜きで漢の魂を煮えたぎらせる【何か】に満ちている。グレンラガンは男の夢がぎっしり詰まった玉手箱みたいなアニメなのである。それ故に、この作品に対する分析は無粋というものだろう。

 最終話まで観た後、色々と思索を巡らせた俺だが
「とにかく観てみろ!そして感じろ!」と。 もうそれでいいんじゃないかと。
 最終的にはそう結論せざるを得なかった。


 というわけで、秋公開予定の劇場版は確実に観にいくと思います。ハイ。

 …でも総集編なんだっけ…またかよ…

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【アニメ評論】「天元突破グレンラガン」の脆弱性

「天元突破グレンラガン」をDVDで観てみた。
なかなか面白く、元気も出るよい作品なのだが

これはオタクによる、オタクの為の純粋オタクアニメやなあ…

としみじみ思った。
グレンラガンは「気合と根性」という要素が頻出する
非常にポジティブでアグレッシブな作品なのだが、
その使われ方が物凄くデリケートなのだ。

グレンラガンには「闇」がない。
製作者達によって意図的に作中から「闇」が排除されているのだ。
エウレカセブンにもその傾向は見られたが、グレンラガンでは
それが非常に顕著だ。かなりの力技で、作品中から「闇」の
部分―即ち不安、嫉妬、葛藤、苦悩といった要素を取り払っている。
それ故にグレンラガンの世界はとてもワクワクする、
楽しげなものに見えるが
一方で「異物」を一切受け付けない脆弱さを孕んでいる。
この手の世界は、わずかでも異物を取り込んだら破綻してしまう。
この繊細さ、純粋さ加減は非常に逃避的な要因を孕んでいる。
この逃避的傾向に僕は強烈なオタクっぽさを感じざるを得なかった。

無論「オタクっぽい」ことイコール悪なのではない。
僕も逃避的傾向の強い作品で大好きなものはいっぱいある。
(アリスのエロゲとかね…)

が、やはりそれでは一時代を築く名作にはなりえないだろう。
グレンラガンはあくまでオタク向き、マニア向きの作品に留まると思う。

ナウシカ、ガンダム、エヴァといった、
これまでにオタクの壁を越えて
時代に大きな影響を与えてきたアニメ作品は
「光」の部分―即ち誰もが憧れるような魅力的なキャラや
夢のような世界を構築しながらも
同時に目を覆いたくなるような「闇」の部分を描いてきた。
キャラクター達はその二律背反に苦悩し続け、成長していく。
これが歴史に名を残す名作が持っている特長である。

強い光が存在する場所には必ず濃い闇が存在する。

これは現実世界が持っている原則であって、それを覆そうとする
行為は必ずどこかで破綻してしまう。
この原則は創作においても当てはまり、グレンラガンはこの原則に
逆らう事とどこかでちぐはくな感じに仕上がってしまっている。
そのちぐはぐさが、
わずかでもバランスを崩したら全てが崩壊してしまうような危うさ、
即ち「脆弱性」に繋がっているのである。

次に、映像面についても言及しようと思う。
グレンラガンはビジュアル面では非常に完成度の高い、
というか純粋に、マジでカッコいい作品である。
画風に70、80年代への意図的な回帰が明確に感じられるが
それを極めて未来的に処理しきった画面構成にはただただ
感心するしかない。

問答無用に絵がカッコいいぜえええ!!!!!!!!!!!1

僕もこの面に関しては非常に楽しめた。

ここで同時期に制作され、非常にビジュアル的に斬新な「モノノ怪」と
いうアニメと比較してみると、興味深いことがわかる。
「モノノ怪」が漫画絵の系譜を鳥獣戯画から遡って構成された作品で
あるのに対して、
「グレンラガン」の映像表現はあくまで手塚治虫以降に確立された
漫画絵の中で完結しているのである。
ここにもグレンラガンの脆弱性が垣間見えるのだ。
グレンラガンにとって、日本画や浮世絵と言った、
アニメ以外の絵画表現は「異物」でしかなく、それを取り込んで
しまったら崩壊してしまうのである。

だから「モノノ怪」の方が偉いんだよ!

と言いたいわけではない。
両者ともビジュアル的に関してはとてつもなく高度な作品であり
今後アニメはこの二派に分かれて進化していくと思われる。
が、あくまで「異物」を拒否し続けるグレンラガンに
一抹の疑念と不安感を感じるのは確かである。

以上。

んーなんかこう書くと、
「源さんグレンラガン嫌いなんだ」って思われるかもしれんけど
そんなことはないよ。
グレンラガンおもしろいよ!
評論オタクって奴はやっかいだねwwえへへっ!!!
んじゃバイビー

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