「仕事」とは

 
 最近よく、「仕事が大変だ」とか「仕事がつまらない」という話を耳にする。

 思うに、仕事がつまらないのは、その仕事がやってもやらなくてもどっちでもいいような「ゴミ仕事」だからではないだろうか。人は誰でも、興味のある事なら楽しんでやれるし大して興味のない分野の仕事であっても、明らかに儲かることが明白である仕事ならばやっていて楽しく感じるものだ。
 つまり「つまらない仕事」には、プロジェクトの内容にどこか欠陥があるのである。プロジェクト全体にダメ出しをしている自分が心のどこかにいるから、仕事がつまらないのだ。


近年

「つまらない仕事の中に面白さを見出すことが、社会人としての正しい生き方である」

 という考え方が一般的になってきた。それはそれで一理ある考え方ではある。プロジェクトを発案する側も万能ではないのだから、従業員につまらない仕事を強いてしまう事もありうる。その度に従業員が業務をサボタージュするようようでは、会社は回っていかない。故に、従業員が我慢してつまらない仕事に従事する必要がある時もあるだろう。
 しかし、年がら年中無理矢理面白いと思い込まなければならないような仕事しか存在しないような会社には、根本的に問題があると思う。

 仕事とは本来「熱い」ものである筈である。
 「熱い仕事」とは

1 意義を感じられる
2 やっていて楽しくて仕方がない
3 かなり儲かる

 の内の、少なくともどれか一つを満たしていなくてはならない。この条件をひとつも満たしていないような仕事は、本質的には「仕事」ではないのだ。

「冗談じゃない!そんなのは奇麗事で、理想論で、世間知らずの阿呆かメンヘルの中ニ病がのたまう甘えた戯言に過ぎない」

 などと一方的に拒絶せず、少し冷静になって考えて欲しい意義も感じられず、楽しくもなく、儲かりもしない活動を「仕事」と呼ぶのはおかしくないだろうか。

 例えばパン屋が、本当は美味しいとは思えないパンを低いテンションで作り続けていたらそのパンを買う客はいるだろうか?いないだろう。こういうパン屋はすぐに淘汰されてしまうだろう。常に存続を賭けて営業している小さな企業では、こんなことは明白である。企業の規模が大きくなり、仕事の規模が肥大、複雑化すると
この事が見えにくくなってしまう。
 しかし、原理的には大きな企業も小さな企業も変わらない。従業員の殆どが「つまらない」と感じながら仕事をしている企業はどれほどの大企業であっても、遅かれ早かれ破滅するだろう。こういった企業は、既にその存在意義を終えているのだ。社会のシステムに組み込まれているから、一見機能しているように見えるが実際には緩やかに死に向かっているのである。

 企業の経営者には、従業員に対して「熱い仕事」を与える義務がある。何故ならばそれが、企業が生き残り続ける為の条件だからである。従業員は「熱い仕事」がひとつも与えられないような会社には、一刻も早く見切りをつけるべきではなかろうか。


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【モノグサノススメ】

「めんどくさい」


という言葉について、貴方はどう思われるだろうか?
近年「めんどくさい」という言葉が
著しく悪いものとして世に受け止められている様な気がする。
このところ「めんどくさがる」ということに対する社会的な弾圧が
少々過剰になりすぎているのではないだろうか。
その証拠に日本人の平均睡眠時間は今年史上最低を記録したらしい。
友人、知人のブログ等を見ていても

「仕事で忙しい」「毎日3時間しか寝ていない」
「疲れた」「助けてくれ」「もう死にたい」
「ニートになりてえなあ」「宝くじあたんねえかなあ」
「あー働きたくないでござる」

など、日々の労働の過酷さに対する悲鳴の声が顕著に
見られるようになってきた。
それにしても、

「めんどくさい」


と感じることは、本当にそんなに悪いことなのだろうか。
仕事上の目標を達成するために全力で努力し、
同僚や友人の要請にも笑顔で答え、家族サービスに奮闘し
レジャーや旅行も全力で楽しむ…
そんな「勤勉で活動的」な生き方が「人間のあるべき姿」なのだろうか?
僕は最近、そのあたりに強い疑問を感じている。

「無気力」というものは、確かにあまりいいものではない。
働くにしても「無気力」だと生産性が上がらないし
遊ぶにしても「無気力」だとつまらない。
しかし「無気力」を怖れるあまり、
異常なまでに活動的に振舞おうとして無理をするのは、
肉体、精神両面にとってあまり良いことではないような気がする。
大体においてそういう人は「めんどくさい」という言葉を
口にすることに強い罪悪感を感じている。
だから口が裂けても「めんどくさい」という言葉は使わないし
「めんどくさい」という言葉を発する人間を異常な位嫌悪する。

それではこういった「勤勉で活動的」な人間が
「めんどくさがり」の怠け者より本当に生産的であるかというと
甚だ疑問である。
「生産的であるかどうか」は目標達成までの過程ではなく、
あくまで結果のみを評価すべきだろう。
やたらめったら動くことが「生産的」なのではない。
それは単にエネルギーを無駄にしているだけのことである。
人間がひと時に発揮できる知力、集中力は有限である。
それが有限である以上、目標をより効率良く達成する為には
知力、労力を目的達成に集中し、
努力から無駄を省いていくよう心掛ける必要がある。
めんどくさがりの怠け者は、
この点において優れたセンスを持っている場合が多い。
勤勉で活動的な人間が「あれもしなければ」「これもしなければ」
と無駄な仕事を増やしてしまう傾向があるのに対し
めんどくさがりの怠け者は

「どうしても行わなければいけない最優先事項」と
「やってもやらなくても結果にはなんの影響も与えない無駄な活動」

の違いを見抜くことに長けている傾向がある。
だから結果的に勤勉で活動的な人間よりも
めんどくさがりで怠け者の方が、
学業や仕事においてよい結果を残すということが多々あるのである。

そう考えてみると「めんどくさがる」のも、
さして悪いことではないような気がする。
毎日を動き回って生きている「勤勉で活動的」な人も
一日に一度くらいは「めんどくさがりや」の怠け者を見習ってみると
これまで見えてこなかったムダが見えてくるかもしれない。



…もっと馬鹿げた事を書こうとしたのに推敲していたら
すごい普通の文章になった。
だからちょっと汚しておく。

ウンコ。ウンコ。ウンコ。ウンコ。ウンコ。ウンコ。ウンコ。肛門。

うん、こんくらいでいいな。バランスがよくなった。

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【社会評論】マーケティングの「猫」

”厳密に考えた時、
すべからく「観測」という行為は観測対象に影響を及ぼす。”

ハイゼンベルグは、この不確定性原理を導くことで、
量子力学の確立に大きく貢献した。
僕は最近、この「不確定性原理」というものが
市場経済にも当てはまるな、という事を考えていた。
「マーケティングリサーチ」という市場への観測行為は
市場そのものに対して大きな影響を及ぼすのではないだろうか。

情報化社会において商品、サービスの売上は、
データ化され、一箇所に集約され、分析される。
このデータは、消費者が何を欲しがっているかということの
明確な証拠とされているため、製造業者、流通業者、小売店全てに
配布され、物を製造し販売するための判断基準とされる。

「マーケティングリサーチ」という市場への
観測、分析行為の有効性を裏付けているのは、

商品・サービスが「売れる」ためには、顧客のニーズを知り、
ニーズを満たす商品をつくり、顧客がその商品の存在を知り、
特徴を理解し、手に入る場所に商品が置かれ、
入手できる適切な価格で提供されている必要がある。

という、経済学の大前提があるからだ。

ところが、現実はそんなに単純ではない。
多くの場合顧客は「自分が何を求めているのか?」
ということについて極めて漠然とした認識しか持っていない。

「何が欲しいのかわからないけれど、とにかく商品を沢山見てみて
 自分が欲しいものを決定する」

という人が殆どである。

となると、マーケティングリサーチは、とんでもなく間違った方向に
市場を導く可能性があるのではないか。

第一に、リサーチによって得られたデータは
小売店によって参照される。小売店はこのデータを参考にして、
顧客が何を欲しがっているかということを判断し、
リサーチで「よく売れている」とされている商品を、
顧客が最も手に取りやすい場所に配置する。
この事は「自分が何が欲しいのかわからない」顧客に非常に大きな
影響を与える。こういった顧客は、非常に高い確率で手に取りやすい
位置に置いてある商品を購入するからだ。
この結果、どういう事が起こるかは明白である。

リサーチされたデータを小売店が参照することで、
リサーチのデータの信頼性は強化されるのだ。

第二に、リサーチによって得られたデータは、流通業者にも
参照される。流通業者はこのデータを参考にして、顧客が何を
欲しがっているかを判断し、商品を流通させる量を決定する。
つまりデータで「よく売れている」とされている商品が大量に
小売店に入荷され、「あまり売れていない」とされている商品は
わずかしか入荷されない、ということが起こってくる。

この結果、リサーチされたデータの信頼性は、
より強化されることになる。

第三に、リサーチによって得られたデータは製造業者によっても
参照される。製造業者はこのデータを参考にして、顧客が何を
欲しがっているかを判断し、どういった商品を製造するかを判断する。
結果データにおいて「よく売れている」とされている商品に
類似した商品が大量に製造され「あまり売れていない」とされている
商品はあまり製造されなくなる。

この結果、リサーチされたデータの信頼は、さらに強化される。

以上三つの過程により、リサーチによって得られたデータは、
必要以上に信頼性が跳ね上がることになる。
結果、顧客の中にあるニーズと、リサーチによって得られたデータは
大きくかけ離れてしまうのである。
しかしこの「リサーチされたデータ」と「現実のニーズ」とのズレは
即座にマイナス要因として市場に打撃を与えることがない。
上に記述した三つの要因が、売上を補強するバイアスとして働くため、
暫くは何の問題もなく機能していく。

このズレが起こす問題は、慢性化して市場に蓄積するのである。
この現象が継続すればするほど、顧客は「市場経済」というものに
ついての信頼感を失っていくだろう。
最終的に顧客は「お金を出しても自分の欲しいものは手に入らない」
と考えるようになり、リサーチデータのバイアスがかからない、
金銭のやりとりが介在しない商品やサービスの流通を
信頼するようになる。

ほぼ無償で提供されているニコニコ動画やwinnyが、
有償で提供されるTVや漫画よりも元気に見えるのは
単純に「タダ」だからではなくて
「そこに求めているものがあるから」なのではないか?

この「市場経済における不確定性原理の働き」とも言える現象は、
資本主義をパラダイムとして動いている現代の世界経済にとって
決して好ましいことではない。
このような状況が今後も継続するならば、
貨幣による流通そのものが力を失い
いずれ資本主義は自然崩壊を迎えることになるだろう。

僕達は

商品・サービスが「売れる」ためには、顧客のニーズを知り、
ニーズを満たす商品をつくり、顧客がその商品の存在を知り、
特徴を理解し、手に入る場所に商品が置かれ、
入手できる適切な価格で提供されている必要がある。

という「大前提」そのものを見直す時期に来ているのかもしれない。

…以上。こ難しい話です。読んでくれた方、お疲れ様でしたーーー

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