「野心」について

 人は皆、心のどこかで「野心」というものを抱いて生きている。

「野心」とは、人に認められたいという願望であり、偉くなりたい、チヤホヤされたいという渇望である。「野心」があるからこそ人は「何がでかいことをやってやりたい」とか「偉大な仕事を成し遂げたい」と考えるようになるのである。
 人間という生き物は、博愛精神などで働いたりはしない。全ての行動には打算があり、その根源には「欲」がある。NPO団体で働いたり、ボランティア活動をする者などは、あたかも人類の幸福のために身を粉にして働いているように見える。だが、それはあくまで表向きの大義名分に過ぎない。自分が一番でかい顔ができる居場所を捜し求めた挙句、奉仕活動という結論に辿り着いたに過ぎないのである。

 チンパンジーやニホンザルの雄がボスの座を求めて争うさまは実に醜いが、人間のそれはもっと醜悪だ。学校、会社、部活動、サークル…ありとあらゆるコミニュティで、人は自らのイニシアティブを獲得するために奔走する。他者を陥れたり、派閥を作ってみたり、大きな声を出して威圧してみたりと、人間がイニシアティブ獲得の為に行う行為は他のどんな動物のそれよりも巧妙で、手が込んでいる。この混沌とした邪悪なエネルギーこそが、人類が生態系の頂点に立てた要因であろう。

 僕はこういう人間の醜悪さが好きだ。権力欲と支配欲に満ちた野心家には、一種の憧れがある。残念ながら、僕にはどうもこの「野心」というやつが欠けているのだ。まったくないわけではないが、あまりに弱い。「他人を支配したい」とか「チヤホヤされたい」とか「リーダーになりたい」といった複雑な欲望よりも「美味しいものを食べたい」とか「気持ちいいセックスがしたい」といった単純明解な欲望の方が勝ってしまう。

 僕のような人間は、仕事にあまり向いていない。金が手に入ると労働意欲が消えうせてしまうからだ。遊ぶ金欲しさに働いているのであって、職場内におけるイニシアティブが欲しくて働いているわけではないのである。
 この点、野心家は良い。いくら金が手に入っても、支配欲や権力欲を満たすために働き続けることができるからだ。野心家は絶対にニートにならない。権力闘争に敗北し、絶望の挙句自殺することはあるかもしれないが、働くことを止める事は決して無い。他者の尊敬を勝ち取るために、自らの虚栄心を満たすために、野心家は身を粉にして働き続ける。

 高い所得税を国に払って、日本経済を支えているのは彼らのような人間である。僕のような人間は、せいぜい彼らに感謝しつつ、社会保障に甘えながら裏街道を生きていこうと思う。

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クリエイトの定義(まだ実験)

クリエイトとはなんなのか?

2006年今現在の俺の結論としては、クリエイトとは

「自分は何が好きなのか、または何が嫌いなのか」
という問いかけである。
故に、出来上がってくる創作物とは
その問いかけに対する答えに他ならない。
この問いを省いて作られたものは
「創作物」ではない。

創作物と、創作物でないものの違いは新規性にある。
「何が好きなのか、嫌いなのか」という問いかけの答えである
創作物は確実に今までこの世に存在しなかった
「何か」を含んでいる。

例えば工業製品は、必ずしも新規性を含む必要がない。
すぐれた工業製品は、消費者のニーズを満たしている
必要があるが、新規性を持つ必要はない。

創作物と工業製品では作られる意義が違う。
創作物はそれを作ること自体に意義があるが
工業製品はそれを利用した誰かが喜びを覚えて
初めて意義が産まれる。

創作物を作ることは、その行為自体が作るものにとって喜びだが
工業製品を作るには、誰かが喜んでくれる保証が必要になる
その保証は確実である必要はないが、少なくともある程度の確率が
期待できなければ、人間の中に工業製品を生み出そうとする
モチベーションが産まれることはない。

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